夢への軌跡_健康診断で健康を損なう

20161021_健康診断で健康を損なう

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【健康診断で健康を損なう】

おはようございます。

昨日の朝も、眠気との闘いであったため
『処方された薬剤は何なのか?』と
健診センターへ赴き、確認してきました。

私は、痛み止めの薬で有名な【ロキソニン】の錠剤は、
合わず、全身にかゆみを生じ、『こりゃ、ダメだ』という
状況に過去、追い込まれました。

貼り薬の【ロキソニン】は、大丈夫なのですが、
合う、合わないということが個人によって影響を受けます。

ということで、今日のお題は、
【健康診断で健康を損なう】です。
今や、健康診断は会社員であれば、年に1回の一大イベントの
ように、総務や人事からプッシュされますね。

私の所属する会社でも同様です。
個人で予約を取って、金額を立て替えて
後清算となります。
これでも恵まれているとは思うのですが、
国内企業だと予約を取ってもらい、
「その日のその時間にその場所に行ってください。」
という指示が出ます。
あくまでも、私の経験値です。(笑)

どちらが良いかは、本人次第ですね。

さて、一昨日、健康診断で順調に検査を終え、
最後の砦である、『胃カメラ』です。
事前に問診があり、
「クルマで来ていませんか?」
「今日は車や自転車などの運転は避けてくださいね。」
「直ぐに眠くなりますので、痛みは感じません。」
などなど、段取りを説明してもらえます。

胃の中の泡を消す薬を飲んで
キシロカイン(局所麻酔薬)のアイスを食べ
咽頭内に麻酔が効きます。

静脈注射を開始し、「横になってください」の指示があり、
横になっていると眠くなる。
ここで使用されたのが、【フルニトラゼパム】という睡眠薬でした。
製品名は、ロヒプノール/サイレースという名称で販売されているようです。

今回、私にとっては、初めての試みであったため
鎮静剤 = 睡眠薬 とは梅雨知らず。
非常に苦しい思いをしました。

どれくらいの容量が投与されたのかは不明ですが、
眠気が翌朝まで続いたのは事実です。

【時間を無駄にした】という印象が強く、
正しく、『後悔、先に立たず』です。

結果、体調は時間とともに回復しましたが、
カメラ画像を見て、唖然としたのは言うまでもありません。

20161021_suiminyaku

この結果については、また今度にします。
本人の気持ちの整理がついていないので。(笑)

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。