夢への軌跡_麻酔の恐ろしさ

20161020_麻酔の恐ろしさ

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【麻酔の恐ろしさ】

おはようございます。

昨日、健康診断を受けてきた私です。
胃カメラが気になるとお伝えしましたが、
その結果は、後日連絡を受けることとなりました。
結果より、経過に唖然としました。

今回は、しっかり胃の中の画像を撮ってもらおうと
麻酔を入れて、寝ている間にカメラを入れてもらったのですが、
その検査終了後から、酩酊状態となり、
車いすで窓口まで運んでもらいました。

ということで
今日のお題は、【麻酔の恐ろしさ】です。

本来、『痛み止め』という名目で
投薬されることが多いのですが、
痛み止めというより、前進の機能低下に当たり
本当に深い眠りに入ってしまいました。

なんとか、意識を回復し、
公共交通機関で家まで辿り着きましたが、
駅での『階段も手すりがないと登れない。』
電車の中で、『立っていられない。』
バスが前に居ても、『走ることができない。』
バス停から家まで、『まっすぐ歩けない。』

という状況で家に到着し、
まずは、【目を覚まそう】と、色々やってみましたが、
ダメでした。
結局、昼寝タイムとなり、14時半から3時間
夕飯終了後、19時から2時間
ウダウダして、何もできず、
そのまま、就寝に至りました。

今日、薬剤特定のために、再度その病院に訪問します。
自分の体を知るために良い機会となったのは
事実ですが、【一日を無駄にした】という後悔もありますね。
20161020_masui

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。