夢への軌跡_副業に対する考え方

20161019_副業に対する考え方

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【副業に対する考え方】

おはようございます。

週の真ん中、水曜日です。
週末まであと少し、なんとか乗り切っていきましょう。
私は、今日、健康診断です。
胃カメラが最大の難関だと感じています。(笑)

さて、ロート製薬が
「社外チャレンジワーク(兼業)制度」や
「社内ダブルジョブ(兼務)制度」
の発表をしてから半年経過し、副業という言葉が
表に出てくるようになりました。

そもそも【副業・サイドビジネス】の定義は何でしょうか?

各企業の就業規則内に記載されている
『就業時間外に他の企業などに従事し、収入を得ること』
を定義としています。

しかし、どうも法律上では、異なるようです。
法律上では、「就業時間外に何をしても良い」と
なっており、
もしも、仮に、裁判沙汰になったとしても、
円満解決とはならないかもしれませんが、
「敗訴」とはならないようです。

就業規則より、労働法や憲法が上位概念となるので
当然と言えば、当然ですね。

さて、今日のお題は、【副業に対する考え方】です。
やっと、本題です。
前述のロート製薬の場合、
「社外チャレンジワーク(兼業)制度」は
社外で活動し、収益を得る方法ですね。
正しく、副業・サイドビジネスとなります。

また、「社内ダブルジョブ(兼務)制度」は
他部署のお仕事を手伝って、スキルアップや
キャリアアップの勉強をする機会と称しています。

どちらも、ロート製薬社員からの要望で
会社としては、『多様性』のある社員を育成したいという
目論見があるようです。

ロート製薬と言えば、【目薬】が目立つ製品となりますが、
現在では、スキンケア製品やフードビジネスにも
ビジネス展開をしています。

会社名は【薬剤製造メーカー】ですが、
内容は多岐に渡り、『多様性』が求められる時代と
考えられますね。

また、副業によって得た人脈を本業で利用したり、
知識や経験を本業に活かしてほしいという狙いもあるようです。

まだまだ、このような企業は少ないですが、
企業の生き残りをかけて
社員の成長を求めるのであれば、
このような【副業に対する考え方】も多くなると予想できます。

因みに、リクルート、日産、富士通、花王など
大手企業も副業OKです。
理由は、『優秀な人財を確保する』という命題があります。

特にリクルートは、独立する人が多くいらっしゃるので
社内での育成が大きく寄与しているとも言えますね。

一方で、働きづめの状況から、『病気』を発症する場合も
(マスコミで話題になっているD社さん)
否定できません。

自分にとっての『ゴールが何なのか?』
今一度、確認したいですね。
既に他責の文化からの脱却を図らないと
誰も自分(家族)の命、生活を守ってはくれませんね。
20161019_hukugyo

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。