夢への軌跡_原因はアメリカです。

20161008_原因はアメリカです。

【原因はアメリカです。】

おはようございます。

今朝は自宅に戻ってきました。
ちょっと涼しい千葉です。
これから、雨のようですので
お出かけには傘が必要ですね。

さて、昨日、出張中にi-Phone6の不調を訴え、
復元とバックアップを何回も繰り返し、
何をしに仙台まで行ったのかがわからなくなるほど
時間をかけてしまった私です。
20161008_amerika
ということで、今日のお題は【原因はアメリカです。】とします。
i-Phone6もApple社製であり、アメリカ製。
私の所属する企業もアメリカが本社。
この人たちは、どこかで米国至上主義と考えているのかもしれません。

私のi-Phone6の不調の理由は『漢字変換不可』となり
『ひらがな』しか入力ができなくなったということです。

アメリカでは英語だけなので、
入力は問題なく、スムースです。

一方、日本語は、『ひらがな』をタッチして
漢字を引き出そうとしますが、出てこないのです。

ここで、復元して(工場出荷時の状態に戻す)
一つずつアプリをクラウドからダウンロードして
整えていきました。

最後に私の所属する企業のアプリをインストールしたら
まさに、『フリーズ』です。
ということは、Apple社も我が所属する企業もアメリカです。

iOS10に変わったときに、
『企業アプリと相反して辞書変換機能に影響が出た』
と解釈しました。

ということは、企業メールやアプリはi-Phone6では使えない
という結論に至りました。(残念無念)

ここまで、原因追及を行うとある意味気分もスッキリして
メールはパソコンのみ、i-Phone6は連絡先のみと分けて考え
業務遂行することが望ましいと判断しました。

最終的に、『原因はアメリカです。』と言いたかったのです。
お互いに『漢字変換機能』は無視してしまうので
(当然ですよね、母国語ではないわけですから。)

仕方ないですね。しばらくはこのような状態が続きます。
うーん、不便です。

でも、しっかり、仕事はするぞ。

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。