夢への軌跡_対応に感謝_Apple

20161007_対応に感謝_Apple

【対応に感謝_Apple】

おはようございます。

今朝は仙台にて朝を迎えました。
若干、東京より日の出が遅いかなぁと
と感じます。

昨日、東北道を走ってきましたが、
風の強いこと、80キロ規制も出ていたので
ゆっくりと移動してきました。
運転には要注意ですね。
20161007_apple
さて、今日のお題は、【対応に感謝_Apple】です。
昨日、目が覚めると、日頃利用しているi‐Phone6が
操作をしていて、『なんか、おかしい。』と感じ、
原因を追究したところ、
「なんと、ひらがなしかうてない。」
という事実が・・・

早速、とは言っても、サービスは10時からなので
それまでは動かさず、
10時になって、Appleケアのサービスへ電話しました。

一人目
「OS10を復元しなおしてください。」
二人目
「OS10の復元方法をitunesから行ってください。」
三人目
「どうやら、スペシャリストの対応が必要のようです。
申し訳ございませんが、私では対応不可能です。」
四人目
「まずは、原因を確認しましょう。」

ということで、我が i-Phone6 の原因は
OSを10にアップデートした時に発生した基盤の損傷という
事らしいです。

四人目の方とは、原因追究で、電話を2時間、
『色々と方法があるもんだなぁ。』と感心しつつ
また、お付き合いをしていただいたことに感謝し、
コツコツ、直していくことになりました。

その後のフォローは完璧ですね。
「明日、改めてお電話します。
状況を教えてください。」
ここまで行き届けば、ファンは増えますね。

コツコツと私は復元に勤しむこととなります。
はっきり言って、
『仕事にならない。』というのが本音です。(笑)

改めて、Appleの凄さを感じた日でした。
スペシャリストの方、ありがとうございます。

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。