夢への軌跡_亀からの教育_往生際が悪い

20161002_亀からの教育_往生際が悪い

【亀からの教育_往生際が悪い】kame

おはようございます。
昨日土曜日のお父さんは、朝からのあいにくの天気であったので
残務整理をし、パソコンと格闘していました。
すると、娘から、読書感想文の問い合わせが。。。

私は、非常に本を読むのは早いんです。
ある意味、特技のように感じていますが、
それを知っている娘は、私を頼りにするのです。(笑)

あまり、長い本は時間がかかるので好きではありません。
というより、『なぜ、お父さんが読むんだ?』という気持ちでした。
数十ページくらいであれば、30分はかからないので
少し、お手伝いをしました。

では、今日のお題は、【亀からの教育_往生際が悪い】です。
亀が登場する内容のものは、それほど多くはないので
うすうす、感じている方もわかると思います。
言わずもがな、【浦島太郎】です。

しかし、今回は、太宰治のお伽草紙の【浦島さん】です。
なかなか、内容が凝っていて面白かったというのが印象です。

特に日本語は難しい。
場面的には、亀が太郎を背中に乗せるので、『腰かけなさい』と
いうのですが、なかなか、決断できない太郎は、
亀の説得に負けて、「では、腰かけてみるか」と
上から目線で答えたのです。

すると、亀は
『腰かけてみるのも腰かけるのも、結果においては同じじゃないか。
疑いながら、試しに右に曲がるのも、信じて断乎として右へ曲がるのも
その運命は同じことです。
どっちにしたって、引き返すことは出来ないんだ。試みたとたんに、
あなたの運命がちゃんと決められてしまうのだ。
人生には試みなんて、存在しないんだ。やってみるのは、やったのと同じだ。
実にあなたたちは、往生際が悪い。引き返す事ができるものだと思っている。』
引用 お伽草紙 太宰治 浦島さんより

実に奥深い内容ですね。
亀に教えてもらいました。というより、太宰治ですね。

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。