夢への軌跡_インサイドアウトについて

20160929_インサイドアウトについて

【インサイドアウトについて】

おはようございます。
木曜日です。今日から東北出張です。
予想では1泊2日で1700キロかなぁと
少し、緊張しています。

慣れているとは言え、
本業は運転手ではないので、
移動で事故を起こしても仕方ありません。

予定では八戸終了17時。
ということはそこから7時間なので
土曜日のシンデレラタイムに帰還するはず。
たぶん。
どこかで疲れたら寝てきます。(笑)

さて、今日のお題は【インサイドアウトについて】です。
基礎原則という哲学の分野があり、
まずは、逆らえない内容を学びましょうということです。

例えば、手にもったリンゴに
『落ちるな』という命令を下しても
手を離せば、間違いなく、落ちます。
これは、私たちの意図とは関係なく、落ちるわけです。
ですから、原則です。

それと同様に、外部からの圧力に負けて
何か事を為そうとしても、
どこかに不自然な感覚が残り、
抵抗してしまうことがあります。
それが、【抑止力】です。

いくら【駆動力】を上げても、
【抑止力】があるので、なかなか前には進まず、
ブレーキを踏んでアクセルを踏むという現象と同じです。

人間にも、同様な考えが潜んでいます。
【リエンジニアリング】と言っても、
それぞれの人の心の中から、本当に、『それを良し』と
しない限りは、【抑止力】が発生します。

従い、【アウトサイドイン】という方法では、
外部から力を加えて、事を為そうとすることは
【抑止力】が発生してしまい、
偶然以上の確率で成功はしないと言えるわけです。

それぞれの人の心の中から、『何かをしよう。』と
思ったときは、【インサイドアウト】です。
企業が組織改革を行う前に、
残った人に、夢を語り、将来あるべき姿をイメージさせて
心の中からそうなりたいと感じさせることで
【リエンジニアリング】は成功するわけです。

その方法は、【インサイドアウト】となります。
コンサルティングの人たちがいくら、
戦略や組織改革を行ったとしても
所属する人、一人一人に伝わらなければ、
【抑止力】が生まれ、成功しなくなってしまいます。

非常に高額な費用を負担しているにも関わらず。。。

逆に言えば、『自ら欲したもの』が
本当に必要であると認識した際に
体が動き、前進することで、獲得可能なものとなりますね。

これが、【インサイドアウト】ですね。
20160929_mothertetote

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。