夢への軌跡_リエンジニアリングとリストラクチャリング

20160928_リエンジニアリングとリストラクチャリング

【リエンジニアリングとリストラクチャリング】

おはようございます。
週の真ん中、水曜日です。
昨日は、東京と千葉を移動していたのですが、
なかなか、移動しがいのある距離でした。
関東は広いと感じつつ、渋滞に巻き込まれ、
この一人当たりの時間をお金に計算すると
とんでもない経済損失のような気がしました。

政治がどこまで経済を後押しするのかは不明ですが、
『何とかならないものかなぁ』と考えてしまいました。
因みにエレベーターで5分待つと
一人当たり100円かかっているそうです。
どこかのビルの貼り紙に書いてありました。(笑)

さて、今日のお題は
【リエンジニアリングとリストラクチャリング】です。
日本語にすると、【再設計と再構築】となります。

コンサルティング業界では、
「組織改革」や「企業戦略」という名のもと
色々な提案を企業に行い、非常に高額な費用を請求して、
お仕事を行っています。

上から目線で実践しようとした「組織改革」や「企業戦略」は
それほど、成功しません。

というのも、
【リエンジニアリングとリストラクチャリングは
偶然以上の可能性をもって成功しない。】
という文献があります。
20160928_marunouchi
要は、【大きなお金をかけても成功しない。】
幾つか英文の文献が出現してきますので
ググってみると発見できます。

何故、成功しないのか?
そこには、必ず、変化を嫌う【抑止力】が発生するからです。

組織を変化させるためには
さまざまな活動が必要となりますが、
まずは、【インサイドアウト】であり、
従業員の気持ちをしっかりと受け止め
【抑止力】を最小限にすることで
【リエンジニアリングやリストラクチャリング】の効果を
最大限に活かすことができます。

根深い企業文化を払拭することで、
一丸となって、前進するところに
しっかりとして目的と出会えるということですね。

実は私が所属する企業も考えているようです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。