夢への軌跡_退職する勇気

20160926_退職する勇気

【退職する勇気】

おはようございます。
また、今週も始まりました。
順調に過ごせることを祈りつつ
今、健康にいられることに感謝しています。

さて、今日のお題は【退職する勇気】です。

外資系企業に勤めている私にとって
【終身雇用】という言葉は全く根付いていなく
企業を移っていくことで、ステップアップすると
個人的には、考えています。
20160926_kyariaappu
従い、良いお話があれば、
(良いお話とは、年収が上がる、ポジションが上がる
魅力的な製品に出会う、などなど、
人それぞれの価値観によって異なります。)
いつでも移れる準備が整っています。

しかしながら、なかなか、これもご縁のため
縁談がまとまることもなく、
10年以上が経過してしまいました。

また、恥ずかしながら、
私が勤めている会社では、人の入れ替わりが激しく、
「昨年、ここのポジションにいた人は既にいない。」
ということが多々見受けられます。

それは、前述の場合ではなく、
マンパワー不足により、一人当たりの負担が大きく
潰れてしまう人も少なからずいます。

現在、多くの人が心の病に伏してしまう場合が多く
効率を追い求める企業であるが故に
人財(ここでは、人材ではなく)のフォローが
行き届いていないということが
本当ではないかと考えてしまいます。

例えば、私の場合、
関東も担当して、東北までテリトリーと考えると
ゾッとする人も多いかもしれません。

当人である私は、
それが当たり前のように感じていますけど。(笑)

ここまで、神経の図太い人間はそれほど多くはなく
業務に押しつぶされ、
また、それを責める関係者(仲間)に業を煮やし
去っていくこともあります。

効率や成果は、非常に大事なのですが、
人それぞれの許容量を無視した、
罵声が飛ぶことにより、
人間批判に陥っている組織に嫌気がさしてきます。

今回も優秀な人間が去っていきます。
人それぞれ、長所と短所を持ち合わせてはいると
思いますが、
短所を突き、人間批判になっていたケースと考えます。

私は、外回りの営業なので
それほど、社内の雰囲気に飲まれることはありません。
昨日投稿の内容と同じで、
嫌な職人気質のオヤジですから。(笑)

退職する人に、一言、確認したことは
『次、決まっているの? 家族がいるじゃないか?』
「いいえ、病気になるより、退職を選択しました。」
とのこと。

自分が勤めている企業を悪く言うつもりはありませんが、
顧客と従業員との双方の満足度を追求せずして
事業拡大になるのか?と常々、思っています。

利益重視に偏り過ぎてしまい、
顧客満足度(customer satisfaction)と
従業員満足度(employee satisfaction)とを
考えていない外資系が多くなったのかなぁと思います。

私の場合、社内勤務になったら、
その退職した人と同じかもしれないなぁと
考えてしまいました。

現状の生活を考えると、【退職する勇気】は
私にはありません。たぶん。きっと。
わかりませんが、、、

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。