夢への軌跡_宿題に追われる日々

20160922_宿題に追われる日々

【宿題に追われる日々】

おはようございます。
今日は秋分の日ですね。
昼と夜の時間が同じになります。
と言うことは、
明日からは夜が冬至まで長くなりますね。

あまり、寒いのは好きではないので
今年こそは、『大人しく過ごしたいなぁ』と感じていますが、
常に前進のモットーに従い、やはり、動いてしまいます。(笑)

さて、今日のお題は【宿題に追われる日々】です。
私の業務は営業さんですので、
外でのお仕事の後は、日報という報告書が待っています。

もちろん、商談報告をデータとして残しておくため
必要であることは理解してはいるものの
毎日、最低でも150キロ以上は運転して戻ってくると
シャワーを浴びて『はい、ビール』となります。

すると、だらだらしてしまい、打ち込むことが
面倒になり、たまりにたまって、もしくは、
第三者(この場合は上司)より指摘を受けて
やらざるを得ない状況となります。

毎日の更新は難しいので、3日分くらいをためて
処理しています。(笑)
タイミングが悪いと「ご指摘」を頂戴いたします。

そのような業務上の宿題と、我が娘の宿題とが
重なって、お父さんはパンク状態となることがしばしば。

『世のお父さんは本当にこれほどまでにやっているか? 』
と、自問自答してしまうほどです。

業務にしても、娘の宿題にしても
やることがたくさんあると、パンクです。

冷静になる気分にはなく、
次から次へと処理していく、
第三領域の内容が山積みです。

とにかく、処理・処理・処理の連続です。(笑)

では、なぜ、第三領域の内容が増えるのか?
(第三領域とは重要ではないけど、緊急なことです。)

第二領域に手がついていないからです。
我ながら、感じることは、
『日報なんて合間の時間にこなせば良い』
と理解しています。

所詮、第三領域の内容なので、合間時間で十分です。
入力する内容が溜まって、寝かせておいても
【ひながかえる】わけではありません。
あくまでも結果報告なので。

また、この日報ですが、
(わかる人はわかると思うのですが、)
回線をつないでサーバーに登録するようなシステムなんです。

従い、パソコンを業務の合間の時間に立ち上げて
10分程度で2件くらいは入力可能ですが、
回線の調子が悪いと健康に良くない状況となります。
イライラ感が滅茶苦茶、強くなります。

便利で良くなったと言えば管理職の言い分ですが、
アナログで誤魔化しの使えた時代とは異なりますね。
あいまいな表現をすると、問い合わせの連絡が来ます。(笑)
どちらが良いのかは疑問です。

しかし、時代についていかなければ、
取り残されるので日々、パソコンと格闘しています。
20160922_shukudai

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。