夢への軌跡_数字の8の意味

20160921_数字の8の意味

【数字の8の意味】

おはようございます。
今日は水曜日ですが、明日は秋分の日でお休みです。
ほっと、一息できる、秋の祝日に感謝です。

台風の影響で昨日は早帰り、今日は遅出と考えていたら、
朝、起きると台風は既に太平洋上へ。
あら?という感じの私です。

さて、今日のお題は【数字の8の魔力】です。
中国や台湾の方は、数字の8が好きなようです。
日本人も好きですよね。
【末広がり】という意味がありますが、
それ以上に中国や台湾の方は強く意識する
【数字の8】について調べてみました。
20160921_8
【数字の8】は、発音するときに
【発】と同じように発音されるようです。

【発】は、発展する/拡大する/大きくなる/
金持ちになる/富む…などの意味があります。
従い、【数字の8】に尋常ではない愛着があるのですね。

常に前向きな言葉である【数字の8】の発音は
良く似ているので、歓迎されるのですね。

更に、【お金が大好き】という中国や台湾の人たちは
それを他人に確認することに違和感を持たないのです。

日本人では【お金】を話題にすると、
『はしたない』とか『お金がすべてではない』とか
色々、周りの人に言われると思います。

しかし、文化が異なるのですから、
中国や台湾の方はそれを【良】と判断されるのですね。
非常に高価なものを持っている人に対し、
「おいくらですか?」と聞くことは敬意を表しているようです。

近くても文化は異なります。

中国人が英国へ進出した際、
英国で、ある業者が土地を購入し、
8の倍数の大きさで販売をしたところ、
瞬く間に販売完了となり
荒稼ぎをしたという話を聴いたことがあります。

ターゲット先:中国から英国に来た人
プラン:数字の8で埋めつくした土地の大きさと価格

結果、完売となりました。

要はアイデアと販売先であることが理解できます。
素晴らしいアイデアだと思います。
それも中国人の8という文化に則した内容でしたね。

それぞれに気高い文化が属しています。
その文化もこだわりであり、足かせにもなります。
今後の自分を成長させるために
何が必要なのか、冷静に考えたいですね。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。