夢への軌跡_ワクワク感

20160919_ワクワク感のある方を選択

【ワクワク感のある方を選択】

おはようございます。
敬老の日、月曜日ですね。
私が子供の頃は、9月15日と決まっていたのですが、
今は、第3月曜日となり、3連休最終日となる人も
多いようですね。

私は、家にいるのは今日だけです。(笑)

さて、今日のお題は【ワクワク感のある方を選択】です。
日々、会社員として活動をしていると、
はっきり言ってつまらない仕事もこなさなくてはならず、
イヤイヤ感が出てしまうこともしばしばですね。

趣味や楽しみをもって、生活をしていれば
それが、生きがいとなって、生活の糧になるので
そのように人生を送っている方は素晴らしいですね。

私の場合、日頃の営業活動と
インターネットビジネスの構築に勤しんでいます。
何をするにも、【ワクワク感】をもって
進めることが多いですね。

ネガティブな意見や考えは、払拭し、
ポジティブな意見と考えで頭の中を埋め尽くし
気分が高揚しながら、業務に勤しむのが
ある意味、ストレス解消となりますね。

このネガティブな意見や考えを払拭することは、
人間の考え方の方向性をしっかりとつけ
集中することのより、前進しますね。

そうすると、自然に【ワクワク感】が出てきます。
選択肢がある場合、【ワクワク感】のある方を
選んだ方が楽しいし、自分が成長できると考えています。

お財布は一つより二つあった方が嬉しいですね。
大手企業も副業解禁となりますね。
ロート製薬、日産、富士通、花王など、
これからどんどん増えていくでしょう。

リクルートやサイボウズは副業奨励ですし、
中には『専業禁止』という企業も出てきています。
http://shuchi.php.co.jp/the21/detail/2918

情報は入手するべきだと思います。
会社は私たちを守ってはもらえませんね。
20160910_kuruma
毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。