夢への軌跡_オフ会参加しました。

 

⇒ 詳細はこちらです。

20160918_オフ会参加しました。

【オフ会参加しました。】

おはようございます。
今日は日曜日ですね。
日ごろ、移動ばかりの私は、
日曜日くらいは家にいたいなぁと考えていたのですが、
渋谷まで出かけてきました。
目的はあるグループの【オフ会】に参加するためです。
どうしても、娘の障害を緩和させるため
現状の収入では足りないので、
情報収集も兼ねて参加してきました。

『始めの一歩』を踏み出しました。
『わざわざ、会う必要もないだろう?』とも考えていたのですが、
『行かないとわからない。』と決心して、
人ごみの多い、渋谷へ向かいました。

幸い、松戸からは1時間ちょっとなので、
向かうにもそれほど違和感はありませんでした。
顔を出したところは、地下2階です。
『おいおい、大丈夫か?』と思いましたが、
行ってみると、『あらあら、そこまで話してくれるんだ。』
と納得しました。

私以外の参加者も、非常に気さくな人ばかりで
『始めまして・・・』で交わす挨拶で
お酒と食べ物をいただきながら、
情報を入手しました。

そもそも、『本業とは別に収入を得たい。』という
考えは否定できない状況の為、
『何でも吸収できるものは吸収してやろう。』と意気込みました。

まずは、一歩から。
何でも、一気には仕入れられないので
ゆっくりと自分のやるべきことを考えました。

非常に貴重な情報を得て、アワードにも立ち会わせてもらいました。
シャンパンタワーです。
やはり、『やると決めた人は美しいです。』
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何事も決断ですね。
始めの一歩はここからです。

興味のある方はご確認ください。
⇒ https://fukuyama-syo.com/tcq1

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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一生、サラリーマンで終わっても
定年後には新たな労働が待っています。
今のうちに勉強して飛躍しましょう。
https://fukuyama-syo.com/tcq1
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やっぱり ≪思い込み≫ っていけませんね。
自分自身の可能性を自分で閉ざしちゃう。
あなたの可能性試してみませんか?
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最後まで読んでいただきありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。