夢への軌跡_V・A・K を利用する_その2

20160917_V・A・K を利用する_その2

【V・A・K を利用する_その2】

おはようございます。
土曜日もお仕事の私です。
終わってから帰路が、大変だなぁと感じますが、
無事故無違反で移動します。
20160711_tuiteru
さて、今日のお題は
昨日のテーマと同様です。
難しいというコメントを頂戴したので
私なりに再度、解釈をして投稿します。
【V・A・K を利用する_その2】です。

そもそも、私たちは利き感覚というものがあり、
知らず知らずに癖が備わっています。
利き腕ということと同じです。

物事を判断するときに
【見る】、【聞く】、【感じる】
のどれかが多く影響しています。

それは、人それぞれ、異なります。

その癖を見つけるために、
自分がどのタイプかを理解する必要があるのです。
「知らなくても良い」という方は別にして。

自分の利き感覚が何かで判明した際に
どれに偏って判断しているかがわかります。
【目】、【耳】、【触】のどれかですね。

例えば、言葉使いでも、【見る】という判断をする人は、
【見る】【映す】【眺める】【描く】【想像する】【明らかにする】
というような言葉が、
目が中心となった表現が非常に多くなります。
そのような人を【V】=【Visual】となります。

同じような感覚を持つ人を集めると居心地が良いということとなります。
恐らく、周りの人で仲の良い人は、同感覚の人が多いと思います。

そのような事を知って
顧客対応をしましょうというのが
【利き感覚】を理解すると、
わかりやすいと言えますね。

心理学の一つですので
逆に、利用されている可能性もあります。

セールスレターには、万人にウケが良いように
この利き感覚3つを含んでいる場合が多いように感じます。

面白いですね。
自分は気分良く、モノを購入しているのに
知らず知らずのうちに、
「買わされている」ということもあるかもしれませんね。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。