夢への軌跡_サブモダリティとなる V・A・K

20160915_サブモダリティとなる V・A・K

【サブモダリティとなる V・A・K】

おはようございます。
やっと、後半に差し掛かりましたね。
木曜日です。もう少しで週末という思いで
残りを頑張っていきましょう。
あいにく、関東は曇り空ですね。

さて、今日のお題は
【サブモダリティとなる V・A・K】です。
20160915_vak
人間は、人と人とのコミュニケーションで
相性が良い悪いの判断を概ね
【サブモダリティ】と言われる要素で判断しています。

【サブモダリティ】とは、NLP用語で【従属要素】と言います。
【NLP】とは【Neuro Linguistic Program】の略で
【神経言語プログラム】と言います。

要は人間誰しも、反応するときに
同じような行動をするということをプログラム化したものです。
簡単に言えば。間違っていたらごめんなさい。<(_ _)>

その副節で【サブモダリティ】という要素があり
その反応、もしくは、反応の仕方を理解すると
自分がどの傾向にあるのか、また、相手はどうなのか
ということが理解でき、どこに重きを置いているのかが
わかります。

V visual      視感覚
A auditory     聴感覚
K kinesthetic    体感覚
に分かれます。

自分がどこに属しているかを確認するには
こちらでどうぞ。
⇒ http://www.nlpjapan.co.jp/visual.html

私は、論理的にイメージして考え事をするときに
手が口や鼻を触る癖があるようです。

因みに我が家では、実際に実験したわけではありませんが、
嫁はV、娘はK、私がAとなり、
それぞれが、異なる理解の仕方をしています。

属性が同じであると居心地が良いとなるのですが、
我が家ではそれぞれが、『居心地が悪い』と
なりそうです。

怖いですね。

物の説明をするときに、早い=V、中間=A、遅い=K
となり、嫁の理解度の速さに悩まされ、
娘の理解度の遅さにも悩まされと
間に入ったお父さんである私は、板挟み状態という
面白い構図です。

しかしながら、これを理解しておくと
相手への理解が深まるため、
営業上では、相手に合わせて説明することで
距離感が縮まり、好印象を与えるテクニックにもなりますね。

私もこれから、更新するときに注意したいと思います。
毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。