夢への軌跡_適切な相談相手

20160712_適切な相談相手



【適切な相談相手】



おはようございます。

今回のお題は

【適切な相談相手】

です。


多くの方が、相談する相手を間違えることがあります。



例えば、


成績の良くない友達に

勉強の方法を相談すること。

富を有していない人に稼ぎ方を相談すること。

時間に追われてアタフタしている人に

時間管理を相談すること。

などなど。


やはり、客観的に見て、適切ではないですよね。

ほとんどの方がご存知の

マハトマ・ガンディーさんは

あるお母さんから、

「うちの子は、砂糖ばかりを食べていて太っているんです。

どうか、砂糖を食べることをやめさせてください。」

と相談を受けました。


ガンディーさんは、

『来週、1週間後に、また来てください。』

とその時は

お母さんとお子さんに帰ってもらったのです。


1週間後、ガンディーさんはそのお子さんに答えました。

『砂糖を食べるのをやめましょう。

○○に効果が出るし、△△のメリットがありますよ。』


お母さんは、ガンディーさんに

「なぜ、先週、答えてくれなかったのですか?」

『それは、私がまだ、砂糖を食べていたからですよ。

砂糖を食べている人から、やめなさいと言われても

納得してもらえないでしょ。』


ガンディーさんは自ら、砂糖を絶って、

お手本を示してくれたんですね。


非常に勉強になりました。

相談相手をしっかりと選択しないと

間違った回答が自分に届いてしまいますね。


日々努力であり、常に前向きに。

ついてる!ついてる!ついてる!


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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。


いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。


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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。