夢への軌跡_命を救う貢献度かなぁ?

20171106_命を救う貢献度かなぁ?

 

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【命を救う貢献度かなぁ?】

 

おはようございます。

週の始まり、月曜日です。

 

今日は、お父さんの予定としては、

仙台日帰り出張と夕方には茨城県に出没

というハードなスケジュールです。(笑)

 

今月の出張は恐らく、最初で最後です。

(笑)

 

新幹線の中で爆睡ですね。

 

小粒ちゃんも学校が始まり

ミーちゃんとの生活も

お母さんと一緒がメインになります。

 

お母さんは鼻が野生的なので、

どうも、おトイレ関係の始末に苦労します。

 

当然、お父さんのいる時には

お父さんの仕事です。(笑)

 

ということで、今日のお題は、

【命を救う貢献度かなぁ?】です。

 

日曜日の午前中、お父さんは足袋ではなく

長靴で来春、芝を張るための準備をしています。

 

2度の台風で、整地をした床が

ぐちゃぐちゃになってしまったので

改めて掘り直し、石や残った根を取り除きました。

 

長靴でOKと思っていましたが、

昨日の午前中は日差しが強く、

大汗の仕事でした。

 

しかし、1時間程度であったので、

我慢していましたが、

結果は、びしょびしょとなり、

我ながら、良い運動となりました。

 

後は、目土をしっかりと敷いて

改めて整地ですね。

うーん。これも大仕事です。

 

お昼を食べてから、お母さんから

「病院に連れていこうよ。」

『様子見で良いのでは?』

「いや、早い方が良いよ!」

 

ということで、お母さんの指示に従い

動物病院を探して、行ってきました。

お父さんとしてみると

お母さんが心配している点で

『ほれ、動いた!』

という印象です。

 

小粒ちゃんは学校、

お父さんはお仕事

となると、

共に過ごす時間が長くなるのは

どうしてもお母さんですね。

 

ですから、ミーちゃんにしてみると

お母さんを味方に付けることが

第一条件となります。

 

ミーちゃんは、小さいながらも

それを理解しているようです。(笑)

 

まずは、お母さんに

おねだりですね。

 

そうです。昨日の内容ですが、

不細工でも愛嬌ですね。

 

平日は、小粒ちゃんは学校、

お父さんはお仕事となります。

 

必然的にミーちゃんにしてみると

お母さんとの時間が多くなります。

 

ということは、

甘えていた方がお得ですよね。

 

 

動物病院には、小粒ちゃんとお父さんで

行ってきました。

 

幸い、顔面のキズと思っていた怪我は

ネコ風邪ということで

風邪の症状を治せば、完治の可能性は高い

とのことでした。

エリザベスカラーという顔に手や足が

届かないように輪っかをはめられています。

 

これも早期治癒のためですね。

 

帰宅後、処方された薬を点眼、点鼻、

そして飲み薬を夜ごはんにまぜて

食べてもらいました。

 

その後は、爆睡状態で

いびきをかいて玄関で寝ています。

 

本当に幸せそうです。

 

これも『命を救う貢献度が上昇したかなぁ』と

自画自賛のお父さんです。(笑)

 

このまま次女として向かい入れることに

なるであろうミーちゃんとの生活で

我が家が明るく楽しくなることを期待します。

 

動物病院は保険がきかないので

初診で、約7000円が飛びました。(笑)

 

昨日購入したネコグッズは、合計9000円

ということは、土日に使ったミーちゃん関係の

費用は、合計で16,000円です。

 

生き物は捨ててはいけませんね。

 

また、来週も通院です。

ネコ風邪が早く治ってくれることを期待します。

 

さて、FXの過去検証ですが、

まさに、調べられるだけのツールの準備が

出来ました。

これも、まさに、チームでの活動だからですね。

一人では、頓挫していることでしょう。

 

しっかりと学んで、しっかりと利確

そして、資産形成への第一歩ですね。

 

今日の月曜日は、個人的には

エントリーはしません。

 

理由は、

どのような動きになるかが不明だからですね。

窓開けは非常に怖いので

十分な注意が必要です。

 

よくよく、データを見て

可能性があれば、ポジションを保有します。

 

日々、学びですね。

学びは裏切りませんから。

 

 

 

常に前向きに頑張っていきましょう。

 

 

 

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今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

―――――――――――――――

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#2017革命

#FX

 

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いつも、「いいね」と「コメント」を

ありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。