夢への軌跡_感情の起伏と車の運転

20160910_感情の起伏と車の運転

【感情の起伏と車の運転】

おはようございます。

今日は土曜日ですね。
出張が終了し、自宅に到着しています。
3泊4日で1700キロ。我ながら「凄い」と感じました。
今日は車両メンテナンスです。タイヤが。。。溝無し。やばい。
ということで、持っていきます。
更に、3か月ぶりに健康診断および血液検査です。
糖質制限の結果は如何に。それはまた、明日です。

さて、今日のお題は、【感情の起伏と車の運転】です。
私のスケジュールはご存じの通り、
動きが激しいですね。
愛車プリウスも悲鳴を上げているのではないでしょうか?
社用車なので、個人的には負担はありませんけど。

あちらこちらと、東北地方に出没していますが、
運転の荒い方や、安全運転を意識し過ぎてしまい
波に乗れない方も多く見かけます。

中には、ここぞとばかりに、凄い勢いで突っ走ってくる
車両もありといろいろな性格を車両で拝見することがあります。

良く、「運転には性格がでる。」と言われますが、
感情のコントロールができないと、命を奪いかねないので
十分な注意が必要ですね。

過去にも、同じようなことを投稿したのですが、
(過去記事はこちらです。)
⇒ http://ameblo.jp/fukuyamashow/entry-12186360321.html
【刺激と反応】の間には【スペース】がある。
ということです。

『どう反応しようが、自分の選択である。』ということです。
クルマを運転していて、抜かされて、カッとなる人もいれば、
平然とやり過ごす人もいます。

『刺激が重要ではなく、自分の反応が重要である。』ということです。
私は車中、オーディオブックを聴いているので
後ろから速いクルマがくると『はやっ!』で終わることが多いのですが、
中には、即座にスピードを上げて抜かされないようにする
クルマもあります。
そのうち、見えなくなりますけど。。。

20160910_kuruma
しばらく経って、前に赤いパトライトが見えてくるのですね。
スピード違反で捕まってしまいました。(涙)
高速道路では、なかなか、20キロオーバーくらいでは
取り締まらないので、お高い反則金を支払うこととなりますね。

それも、覆面パトは1台しか、捕まえないのです。
捕まえられないというのが本音なのですが。。。
これが、道路交通法の面白いところで、
「警察は交通違反をしている車両を捕まえることができる。」
とは記載されているのですが、
「捕まえなくてはならない。」とは記載されていません。

従い、違反をしている車両を「見逃しても良い。」という
かなり、柔らかい事情なのです。
例えば、自分が捕まってしまって
『前の車の方が速かったんだから、あっちを先に捕まえるべきでしょ。』
と言っても、
警察にしてみると、「あなたの車両を取り締まりました。」
で、終わってしまうんですね。

気を付けないと。

ところで、話をもとに戻して、
【刺激と反応】の間の【スペース】とうまく
付き合うようになれると、
常に冷静に物事を見ることができます。

ぐっとこらえて、ワンテンポ置くと、
冷静になって、次の手段が思い浮かびます。
お試しください。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。