夢への軌跡_顧客クレームや不具合と顧客満足の関係

20160908_顧客クレームや不具合と顧客満足の関係

【顧客クレームや不具合と顧客満足の関係】

おはようございます。

あと少しで週末です。
父さんは頑張るのだ。
と念仏のように唱えつつ、ひたすら仕事をこなしています。
今日は八戸です。
帰京時の台風の行方が気になりつつ、
お仕事に勤しみます。頑張れ父ちゃん。
と気合を入れつつ。。。

さて、今日のお題は、
【顧客クレームや不具合と顧客満足】です。
少し長いタイトルですね。
製品を販売している場合、顧客からの【クレーム】は
切っても切れない関係ですね。

営業上、【クレーム】は非常に良い機会と捉え、
宝の山であるという表現もあります。
確かに、その【クレーム】がないと
縁のなかった方との面談は行えず、
商機を逃す可能性もあるからですね。
また、処理の仕方が正しければ、
逆に信頼度が増します。

製品を販売している場合、【不具合】もついて回ります。
工業製品に100%完璧はありません。
したがって、『何らかの不具合がある』ということは
営業上、理解しておかなければなりません。
【クレーム】と同様、ご縁に感謝しつつ
正しく処理を行って、信頼度が増すことも期待できます。

しかし、凄く上から見ると(俯瞰的に見ると)
【クレームや不具合】をなくして
顧客満足度を上昇させることはできますね。

誰が、飛行機というものを望んだのでしょうか?
今では当たり前となっている海外旅行も
100年前は船が当たり前だったわけですよね。

「飛行機で海外旅行に行く」なんて
予想もしていなかった時から
ライト兄弟は飛行機の発明に力を注ぎました。

誰が、東京と大阪を2時間少しで移動できることを望んだのでしょうか?
新幹線が発明されて、時速300キロで走行できるから
実現できたのですよね。

本来であれば、顧客が望む以上の内容の製品やサービスを
提供することが、顧客満足につながるはずですね。
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それが、顧客からの連絡によって、
クレームや不具合の聞き取り調査を行っているようでは
本来の顧客満足とは、異なるのではないのかなぁ
と移動中の車中で考えました。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。