夢への軌跡_期間限定_16日までですね。

【期間限定_16日までですね。】

 

日曜日ですね。

雨の日曜日をどのように過ごすかは

その人次第ですね。

 

私は、有意義な時間を過ごすことが出来ました。

(笑)

 

 

さて、今回のお題は、

【期間限定_16日までですね。】です。

 

 

今から、老後の生活を考えているあなたに朗報です。

 

はっきり、お伝えします。

 

FXの口座を持っているのであれば、

明日(16日)は朝7時で迷うことなく

エントリーです。

 

理由は、色々ありますが、

私の学んできた実績ですね。

 

イチロー選手も言います。

「4000本安打を打つためには、

 僕の打率では、8000本は悔しい思いをしている。」

 

そうですね。

 

3割打者であっても、

7割は悔しい思いをしているわけです。

 

あなたは、悔しい思いをしていますか?

私は、当然、していますよ。

自己投資の中で、色々投資を行ってきました。

 

やはり、会社員がしっかりと収益を

発生させるようにするには、これしかないですね。

 

 

少なくとも言えます。

 

16日、朝7時はエントリーです。

もちろん、ウリですよ。

 

 

DMMはお勧めです。

 

前進あるのみですね。

 

最も、簡単に

インターネット上で収益確定です。

 

 

学ぶだけの価値はありますよね。

何ごとも継続ですね。

 

興味のある方は、ぜひ、

こちらをご覧ください。

 

 

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学ばざる者、成果を得られませんね。

頑張っていきましょう。

 

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私、福山 紫生(Syo Fukuyama)の

トレードレポートをお渡しいたします。

 

半年前は初心者であった私が

今では、10%複利に挑戦し、

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プログラム自体で十分、勝てますが、

実践している、私のレポートです。

 

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常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#2017革命

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いつも、「いいね」と「コメント」を

ありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。