夢への軌跡_定年後と年金の期間はどうする?

20171015_定年後と年金の期間はどうする?

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【定年後と年金の期間はどうする?】

 

おはようございます。

ゆっくりとした日曜日ですね。

 

雨って決まっていると計画も大きく変わります。

昨日の足袋を履く機会はなくなりました。

 

朝一で小粒ちゃんの送り、

その後は、戻って髪の毛を切って

お母さんとお買い物、小粒ちゃんのお迎え

ファミリーカーの修理のための持ち込み

更には、新しいビジネスへの模索

と大きく体と頭が動く日でした。

 

肉体労働はしていませんが、

身体も動かして、万歩計も

いつもと同じ数字を示していました。

 

お休み曜日なのに、お父さんは

結構動きますね。(笑)

 

貧乏性だからでしょうか?

 

動いていると、なんとなく

満足感も出てきます。

 

成果がしっかりと

伴っていればOKなのですけどねぇ。

(笑)

 

 

さて、今日のお題は、

【定年後と年金の期間はどうする?】

です。

 

あと10年ちょっとに迫った

自分の定年ですが、

リタイヤ後に何をするかが、

決まっているわけではありません。

 

お金に困らない生活が保障されている

わけではなく、その後の寿命まで

夫婦で生きていくには約1億円かかりますね。

 

「何とかなるわい!」

というほどの楽天家ではありません。(笑)

 

なので、しっかりと学んでいます。

 

ソフトバンクも副業を解禁しましたね。

これで日本でも、日産、三菱自動車、花王

リクルート、NTTデータ、ロート製薬

などなど、

大手企業が、副業を解禁しました。

 

理由は、個人の時代に突入という解釈が

回答ではないでしょうか?

 

終身雇用で、全ての社員を束縛することが

難しくなってきた組織であり、

収入も右肩上がりの保証が出来なくなってきた

ので、自らビジネスを作り出せる人財の方が

会社に貢献するとも考えられますね。

 

という私も、所属する企業では副業禁止です。

 

ですが、アフィリ、FX、投資、MLMなど

様々なことを学んで収益を上げています。

 

理由は、定年後から年金を受け取るまでの

期間の収入をどうするのか?

 

更には、年金だけでは、食べては行かれない

と判断したからです。

 

事実、定年後から85歳までの生活費は

約1億円、厚生年金でも約4000万円の

支給しかありません。

 

国民年金であれば、確実に3000万円程度しか

収入として手に入れられないと考えらえます。

 

いざ、肉体労働を定年後に行うには

体力的に厳しいでしょう。

 

では、何をするのか?

 

それほど、体力を使わなくても

収入を得ることのできるビジネスの構築が

必要ですね。

 

その一つにFXがあります。

 

トレーダーと呼ばれる職種ですが、

今までは10人いて成功者は1人程度と

言われていました。

 

私も、同じく、

『単なる博打でしょ?』と

今年の春までは考えていました。

 

それが、勝つトレードを教えてもらい、

毎月10%の利益を得られるようになりました。

 

複利で考えると1年間で

1.1の12乗となります。

 

1年経過後には、3.13となり、

3倍の資産形成ですね。

 

そして、これは、平日しか動きません。

土日はゆっくり、学び直すことが出来ます。

 

そのような、環境で学んで

デモ(バーチャル)で試してみて

そこから、リアルの証拠金を預けて

1年後には約3倍です。

2年後には約9倍、3年後は27倍、

4年後は81倍、5年後は243倍です。

 

例え、100万円だけだとしても

しっかりと学んで前進すれば、

4年後には8100万円、

5年後には2億4300万円という資産形成ですね。

 

ちょっとビックリですが、

複利の大きなメリットです。

 

そのような夢を現実化するために

しっかりと学びが必要ですね。

 

将来の不安は、薄れてきます。

 

「いつやるの?」

『今でしょ?』

となりますね。

 

 

 

 

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今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

―――――――――――――――

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#2017革命

 

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いつも、「いいね」と「コメント」を

ありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。