夢への軌跡_スマートの法則(SMART)

20160907_スマートの法則(SMART)

【スマートの法則(SMART)】

おはようございます。

週の真ん中、水曜日。
今日は、岩手県南部に出没しています。
昼前からまたまた、北上します。
昨日は、570キロ走行で、ぼちぼち、腰痛持ちの私には
長距離が厳しくなってきたかなぁと感じます。

また、台風ですね。
ちょうど、帰京するときに台風と遭遇しそうです。
延泊かもしれませんね。

では、今日のお題は、【スマートの法則(SMART)】です。
ご存知の方も多いと思います。
20160907_suma-to
アメリカの経営コンサルタントのブライアン・トレーシーが
提唱した目標設定の際に使用する法則です。

一つずつ、簡単に紐解いていきます。
【S】 specific    → 具体的に
内容に具体性を追加して、何をどうするのかを明確に。
【M】 measurable  → 計測可能な
数字で確認できるように。
【A】 agreed upon  → 納得のできる/同意している
自分で納得し、同意している
【R】 realistic    → 現実的な
実現可能な、または、継続的に可能な
【T】 timely    → 期限が明確である
しっかりと期限を設けている

私の糖質制限を例にとると
【S】 specific    → 炭水化物を避けます。
【M】 measurable  → 糖質摂取量を1日50gに抑えます。
【A】 agreed upon  → 私が納得しています。死んじゃうかもしれないから。
【R】 realistic    → 継続的に既に半年経過
【T】 timely    → とりあえず、2016年の1年間は続けます。

結果、
血糖値は153から111へ
HbA1cは7.3から6.2へ
体重は76㎏から66㎏へ
これは、6月末現在で、半年経過の数字です。
http://ameblo.jp/fukuyamashow/entry-12172135006.html

私は個人的には非常に喜んでいます。
ウェストも5㎝くらい、縮みました。

さて、本当はこのように目標を設定することが望ましいのですが、
企業が成長する際に営業に求める目標数字は、
このように考えられているのでしょうか?

【インサイドアウト】は個人の判断で自分から変化を求め、
【エンパワーメント】を利用できる状態になりますね。

しかしながら、【Credo】のない企業は
数字を追い求めるがあまり、
失ってしまう 【measurable】 という計測観点
【agreed upon】 という納得感が消えてしまいますね。

残されるのは、旧マネージャと呼ばれる人が
大好きな【根性論】です。

【根性】で何でも解決してしまう企業は困りますね。
もっと、冷静に判断してほしいものです。

毎日が成長であり、
昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。
ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。