夢への軌跡_新たなパートナーの可能性は如何に?

20171014_新たなパートナーの可能性は如何に?

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【新たなパートナーの可能性は如何に?】

 

おはようございます。

土曜日ですね。

今日は天候に左右されず

有意義な時間を過ごせると思っています。

たぶん、きっと。。。

 

週末は土日の2連休ですね。

なぜか、物足りないですね。

先週は3連休であったので。。。

 

昨日、金曜日は、

FXのチャートとのにらめっこでした。

もちろん、休憩中です。

 

しっかりと見届けて

エントリーしていました。

 

スキャルピングではないですが、

ちょこちょこと利確して、

『ん? これは、行けるかも?』

と思い、IFOで仕掛けました。

 

IFOはグーグル先生に聞いて下さい。

 

それがなんと大当たりです。

過去検証に基づいてエントリーしているので

大当たりという表現はいけないですね。

 

『データ通りです。』が正解です。(笑)

 

そんな状況で土曜日の朝を迎えているので

このまま週末を継続するか否か、

微妙ですね。

 

判断に迷います。

この段階では保留です。

 

持ちこして、来週に利確もありでしょう。

しかし、損切に遭遇することもあります。

 

月曜日は怖いですね。(笑) 

 

 

さて、今日のお題は、

【新たなパートナーの可能性は如何に?】

です。

 

何ごとも新参者には、厳しい洗礼を受けます。

 

本業の医療業界も改変を迎えています。

急性期

慢性期

療養型

在宅

と大きく分けてこの4つとなります。

 

ということは、、、

 

当時は重症と判断された患者さんも

救命救急センターから、一般病棟へ。

意識がなくても、病状が落ち着いていれば、

療養型へ。

そして、療養型での回復が見込めず、

このまま平行線の場合、在宅となります。

 

私が担当する千葉県でも

在宅人工呼吸器管理の患者さんが多くいます。

 

どのようにケアをするかは、

家族や在宅ケアの看護師の力量となります。

 

もちろん、急性期病院と同様のケアは

行えませんが、

患者さん自身のQOL向上が一番ですね。

 

QOLとは

Quality of lifeの略となります。

 

「生活の質」と日本語では訳します。

 

病院に入院していても

生活の向上が見込めない場合、

その患者さん自身のQOLがさがるので

在宅に移行し、ケアを受けることとなります。

 

しかしながら、家族の負担は大きくなりますね。

その辺が課題ともなります。

今回、在宅を訪問診療している

クリニックを中心に活動している

方々と話をする機会に恵まれました。

 

しかしながら、我々の製品については

無知状態であったので

会社として勉強会提案となりました。

 

日頃は、様々な高水準の器械を販売している

企業も、畑違いとなると勉強熱心になります。

 

成果はともあれ、

これから、良きパートナーとなるかもしれません。

 

相手側も在宅への注目をしているものの

売るための商品がない。

 

我々メーカーは、販売のチャネルを探したい。

 

というお互いの利点を踏まえて

今後の勉強会と説明会になります。

 

非常に有意義な時間となりました。。

13日の金曜日でしたが、

このようなことがあるのですね。

 

ちょっと、まじめにビックリです。(笑)

 

成果はまだまだ、不透明ですが、

その気になってもらえるだけありがたいです。

 

 

 

新しいことを怖がっているだけでは

前進しませんね。

 

恐怖と快楽は、隣りあわせだと思います。

 

ワクワク感が出てきたときに

やる気も成果も得られますね。

 

Never mind, Just Go forward.

 

 

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今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

――――――――――――――― 

決断するということは、

引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が

成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#2017革命

 

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いつも、「いいね」と「コメント」を

ありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。