夢への軌跡_セイゲニストの食事

20170930_セイゲニストの食事

 

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【セイゲニストの食事】

 

おはようございます。

ラッキー、土曜日ですね。

 

やっと、戻ってまいりました。

千葉へ。いや、東京へ。

 

いやいや、自宅へ。

 

日頃は雑音となるような

お母さんと小粒ちゃんとの会話も

1泊いなかっただけですが、

懐かしく感じています。(笑)

 

小粒ちゃんも自我の目覚めが発生する

15歳。

 

お母さんは、いつまでも手をかけてしまう。

 

お父さんは、何にも気にしない

『永遠の35歳』です。

 

そうですね。小粒ちゃんは

私の20歳の子供となります。(笑)

 

そんなわけないじゃん。

 

という天の声も聞こえて来ますね。(笑)

 

お母さんと小粒ちゃんの言い合いを

子守歌に昨晩は爆睡しました。

やはり、自分のベッドが良いですね。

バスタオルでの高さ調整が必要ありません。

 

今日は、小粒ちゃんの通学の送迎と

待ち時間には、残務整理ですね。

 

そして、午後からは庭仕事が待ち受けています。

(笑)

 

 

さて、今日のお題は、

【セイゲニストの食事】です。

 

仙台に滞在中、取引先の担当者から

「あれ?福山さん、痩せた?」

『とっくの昔ですけどね。』

「前回、会った時に比べると、

 だいぶ痩せたんじゃない?」

『前回って、3年前でしょ?

 当時から比べれば、15kgくらいかなぁ?』

 

そうなんです。

この人は、電話だけで、音信不通の

営業担当者です。(笑)

 

電話をかけても、出ない。

留守番を入れても、かかってこない。

 

同じ会社の別の担当者から言わせると

「天然ですから。。」

とのこと。

 

そのような人と、後任紹介のために

偶然、出会うことができ、

「やせた?」とのセリフでした。

 

15kgと聞くと、皆さん

驚くようです。

 

私が変えたのは食事だけです。

 

そこで、出張時には、朝食をしっかりと

いただくので、画像を残してみました。

 

2週間前と昨日です。

同じものを食べていますね。

朝食ビュッフェなので、

出ているものは同じなのですが、

全てを取るわけではなく、

そして、いつもの食事を心がけていると

結果的には、同じものを食べているわけです。

(笑)

 

ある意味、習慣ですね。

 

糖質セイゲニストにとっては、

カロリーが大事なので

タマゴやお肉は必要です。

 

ですから、タマゴは欠かさず、

そして、魚肉も欠かさず、

味噌汁で糖質を摂取し、

カロリーを計算しています。

 

このような食事を繰り返すことで

糖質セイゲニストとしては

完璧な食事となり、

1日60gの糖質以上を摂取しないように

心がけています。

 

先日の飲み会でも

最初の一杯のみビール(糖質入り)で

その後はハイボールで済ませました。

 

常にその意識があるから、

現在では、体重維持を完璧に

多少の糖質を多く摂って

重くなったとしても

直ぐに元に戻すことが出来ます。

 

自分の身体を知ることが

ダイエットの成功ですね。

 

そして、非常に健康的に

体型も体調も維持できますね。

 

糖質制限は、日本人には必要です。

なぜなら、もともと農耕民族であるから

糖質の多い食事を知らないうちに

摂取しているからです。

 

血液検査が気になる。

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常に前進です。

 

 

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常に前進ですね。

 

 

今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

―――――――――――――――

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#2017革命

 

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ありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。