夢への軌跡_久しぶりの横浜

20170928_久しぶりの横浜

 

============================

励みになります。

クリックして応援してくださいね。

社長ブログ ブログランキングへ

 

http://blog.with2.net/link.php?1840281

==============================

 

【久しぶりの横浜】

 

おはようございます。

木曜日ですね。

今日から宮城県に出没です。

 

理由は引継ぎなので、

今回は、新幹線利用です。

これから新幹線に乗ります。

 

クルマだと4時間、

新幹線だとドア to ドアで3時間となり、

あまり、変わりがないかなぁとも思います。

(笑)

 

現地到着してレンタカー予約、

そして、荷物の積込を考えると

なかなか、辛いですね。(笑)

 

今回は、現地に後輩君がいるので

一切、お任せです。

 

送迎付きのVIP待遇です。

でも自由はありません。(笑)

 

ということで、今日のお題は、

【久しぶりの横浜】です。

 

会議という名で集まる人員は全国約20名。

 

なかなか、浸透しない考え方の統一ですね。

 

外資系は12月で締めるので

来季の目標設定に入ります。

 

2018年ですよね。

鬼が笑います。

 

しかし、その鬼が笑う内容に

お祝いのメッセージを入れることもできますね。

 

非常に、客観的に見て

上手であったと思います。

 

理由は、長年苦汁を飲んできた営業担当者が

マネジャーに昇進する機会を与えられ、

更に、2018年の方向性を営業担当者が示す

会議となりました。

 

ちょっとビックリですが、

これも、やり方ですね。

 

その後の懇親会では、

非常に和やかに、そして、建設的に話が出来た

ことは言うまでもありません。

誰が、どのように、変革するのかは

「自分が、考えている通りに」となりますね。

 

非常に大きな勉強になった日でした。

 

懇親会では、最年長者が自分であることに気付き、

ちょっと、唖然と、時代の流れをしっかりと

考えつつ、自問自答していました。

 

これも人生ですね。

一応、【永遠の35歳】ですけど。。。

常に前進です。

 

============================

励みになります。

クリックして応援してくださいね。

社長ブログ ブログランキングへ

 

http://blog.with2.net/link.php?1840281

==============================

 

常に前進ですね。

 

 

今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

―――――――――――――――

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#2017革命

――――――――――――――――

 

いつも、「いいね」と「コメント」を

ありがとうございます。

 

*****************************************

 

福山 紫生(Syo Fukuyama)

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。