夢への軌跡_15日金曜日、五十日です。

【15日金曜日、五十日です。】

 

今週も大きな学びにつながりました。

 

感情論で動いてしまったり、

エントリーを焦ったり、

隅から隅まで、取ろうとしたり

色々な感情が沸きあがってきますね。

 

欲張りの典型ですね。

 

そうです。FXです。

会社員でも、

不動産収入や株で利益を上げている人も

多くいらっしゃいますね。

 

かくいう、私も同様です。

 

しかし、学び無くして

利益を上げられるほど、

簡単ではありません。

 

しっかりと、考え方や手法を学び、

ルール通りにエントリーとイグジットが

できれば、十分に収益になります。

 

なにから、手を出そうか?

と悩んでいるのであれば、

初心者向けプログラムが新たに

販売されました。

 

非常に、簡単に言われた通りに

行動するだけで10万円が

いずれは、ケタが変わると

実感できますね。

 

私も同様でした。

半年前は、

『FXは危険でしょ?』

『証拠金が必要でしょ?』

『失うリスクがあるでしょ?』

など

いろいろと不安を考えていました。

 

さんざん、デモで勉強して、

リアルデビューしました。

 

毎月、10%増ですね。

この10%複利の計算はご存知ですか?

 

1年後には、約3倍です。

2年後には、ケタが変わります。

学ぶだけの価値はありますよね。

何ごとも継続ですね。

 

興味のある方は、ぜひ、

こちらをご覧ください。

 

 

↓ ↓ ↓

https://fukuyama-syo.com/gbfx

 

 

学ばざる者、成果を得られませんね。

頑張っていきましょう。

 

≪ 特典 ≫

上記サイトから購入していただいたあなたには、

私、福山 紫生(Syo Fukuyama)の

トレードレポートをお渡しいたします。

 

半年前は初心者であった私が

今では、10%複利に挑戦し、

100 PIPSを達成しているレポートです。

 

購入実績をご連絡ください。

PDFにてレポートを送信いたします。

プログラム自体で十分、勝てますが、

実践している、私のレポートです。

 

 

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常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#2017革命

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いつも、「いいね」と「コメント」を

ありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。