夢への軌跡_糖質制限30_休みの恐ろしさ

20160902_糖質制限30_休みの恐ろしさ

【糖質制限30_休みの恐ろしさ】

おはようございます。

今日は青森県八戸にいます。

8月30日の台風で大きな被害を受けた地域の一つです。

川の増水はまだまだ、穏やかにならず、

流れも速いのを確認しました。

宿泊しているホテルでは、大浴場があるのですが、

台風の影響で『女湯』だけが営業中止になっていました。

何が壊れていたのかは不明です。

さて、本日のお題は【糖質制限30_休みの恐ろしさ】

についてです。

夏季休暇中に家族旅行を楽しんだのですが、

やはり、一人でいるときに比べ、

どうしても、糖質を多く摂取してしまう傾向にあり、

食事もしっかり3食、食べてしまいますので

なかなか思うようには行かず、仕事開始時には

体が重くなっていたのは事実です。

その後の努力で通常の体重に戻っては来たのですが、

夏季休暇のツケは大きく、

移動中には、ほとんど何も食べずに過ごしています。

倒れない程度には食べています。(笑)

車での移動が多いと歩数がなかなか伸びず、

3000~4000歩程度となり、

運動もする時間は取れないため

食事を控えるしかないですね。

来週の土曜日は、定期検査のため

アルコールも控え目に、徐々に減らしている状況です。

1年前に比較すると10㎏の減量成功はしていますが、

まだまだ、目標には足りていないですね。

食事は、出張時には画像のような状況です。

お肉、卵、チーズを主体に、

炭水化物は極力避け、

元気に生活しています。

【駆動力】と【抑止力】のバランスが

まだまだ、上手くいっていないようです。

【駆動力】は、糖質制限を継続すること。

【抑止力】は、他の人と食事を共にすること。

その【抑止力】を最小限にすれば、結果が伴いますね。

仕事も同じですね。

改めて、【駆動力】と【抑止力】を勉強しないと。。。

朝食バイキング時の食事メニューです。

この程度で、糖質は15gくらいと予想しています。
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毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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やっぱり ≪思い込み≫ っていけませんね。

自分自身の可能性を自分で閉ざしちゃう。

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。