夢への軌跡_夫婦の会話

20170819_夫婦の会話

 

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【夫婦の会話】

 

 

おはようございます。

 

土曜日ですね。

今日の私のTODOリストはもう一つの

レポート作成となり、

一日中、調査と作成に追われそうです。

(笑)

 

出来上がったレポートは、我が家では

お母さんの情緒的なコメントを加え

完成されます。(笑)

 

お父さんの書いたレポートはあくまでも

下書きですね。(笑)

 

余りにも完璧すぎてビックリしますが、

中学生向きには、情緒が加わり

ほぼほぼ、完成になりそうです。

 

雨という天気予報なので、私は終日

パソコンの前で格闘する予定です。

 

『いったい、誰の宿題だ?』

というのは、心の叫びです。(笑)

 

さて、今日のお題は、

【夫婦の会話】です。

 

我が家でも色々な会話があり、

結婚してからもう少しで20年に

なろうとしています。

 

因みに私の年齢は『永遠の35歳』です。

(笑)

 

そのような我が家の夫婦間での会話を

脳裏に浮かべながら、

昨日は、S君と同行してきました。

S君は30代前半で人生経験豊かな

バツイチです。

 

更にお子さんもいるのですが、

全く会えず仕舞いという状況のようです。

 

まぁ、色々あったのでしょう。

 

バツの原因は、

奥様の浮気(不倫)とのことでした。

 

淡々と話すS君に、少々困惑しながらも

『偉いね、よく耐えられるね。』

『凄いね、メンタルが強いね。』

『かなり、吹っ切れているね。』

など、

S君への言葉は、私にしてみると

未経験ゾーンの連続であったので、

非常にメンタルの強い人なのだと

理解しました。

 

しかし、気になったのは、

奥様のセリフが・・・

「別れるなら、現金をよこせ!」

ということでした。

 

私は、S君からしか聞いていないので

一方的に話を聞く限りで、ある意味、

S君のフィルターがかかっています。

 

背景としては、

奥様は6つ年上、

奥様の実家近くに家を建て

同じ市内に居住していても

子供には合わせない。

 

という条件で、離婚したので

子供が「お父さんに会いたい」

というと、奥様が、

「お父さんが会いたくないんだって。」

と子供に平気で言ってしまっているようです。

 

この情報は、ご近所さん情報のようです。

 

ある意味、お父さん責任の離婚に

映ってしまっていますね。

 

子供は何も悪くないのに・・・

 

と私は思ってしまいました。

 

更に、奥様のご両親からは、文書で、

「娘の我儘な行為であり、申し訳ない!」

という内容が届いているようです。

 

奥様のご両親も、辛いのでしょうね。

 

既にS君は吹っ切れているので

笑い話のように淡々としゃべってくれました。

 

ここのところ、

このような話題を耳にすることが多く、

私の周りにも、修羅場が色々あるのかなぁと

感じつつ、我が家のお母さんに

その内容を伝えました。

 

すると、

「お父さんも変わったよね?」

『ん?なにが?』

「なんか、変わった。昔とは違う。」

『変化のない人間なんていないよ。』

「いやぁ、優しくなくなった。」

『そう? 生きるのに必死だから。』

「でも、変わった!」

『進化しているんじゃない?

 昔のまんまじゃ、生きていかれないから。

 という、お母さんも変わったよ。』

「え?」

『こんなに変わった人はいないでしょ?』

「???」

『それ、詐欺って言うんだよ!

 体型の変化は。

 因みに私は、

 結婚式当日の体重と変わらないから。』

「・・・」

 

何も言わずに、私の視界から消えました。

(笑)

 

 

 

常に前進ですね。

 

 

今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

――――――――――――――― 

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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いつも、「いいね」と「コメント」を

ありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。