夢への軌跡_つまずき

20160711_つまずき



【つまずき】



おはようございます。


今日のお題は【つまずき】です。


土曜日、リコールの対応のため

愛車プリウスをトヨタに預けました。


昨日はその愛車をピックアップに行ったのですが、

片道2キロくらいであったので、

「歩いていこう」と一念発起しました。

運動不足解消、且つ、夜のビールのおいしさの為です。(笑)


大した距離ではないのですが、

遊歩道ではなく、国道沿いの歩道を

歩いたため、でこぼこが多く、

つまずくことが多いと感じました。


つまずく → 躓く

もともとは、「つまづく」であったようですが、

漢字一字で表現する場合には「つまずく」となるようです。


参考までに、

例えば、「色がつく」という意味なら

「いろずく」ではなく、

「いろづく」と「づ」で表記しますし、

「気がつく」なら「きずく」ではなく、

「きづく」と表記します。


さて、本題です。

私が躓いたとき、ふと思ったことは、

子供に歩くことを教えていた時、

『はい、しっかり足を上げて、いち、に、』

なんて、言っていたような気がしました。


かなり前の話ですが。(笑)



では、なぜ、今、歩いていて躓くのか?

『歩くことに全力で行っていないのではないか』

と思いました。


たった、一つ、歩くことすら、

全力で行動していないのであれば、

なにごとも、躓きだらけになっても

仕方ないのではないか?


なんて自問自答しながら、

足を上げて歩いてきました。


もちろん、帰りは愛車を運転して帰ってきました。


「全てのことに全力で」

難しいかもしれませんが、

何事も一生懸命、行っていれば、

必ず、最後には笑うときがくるのではないだろうか。


と、散歩でも考え直してしまった私でした。

まだまだ、未熟者です。


新しいことを始めるには、

非常に大きな力が必要です。

しっかりと、全力で向き合いたいですね。


週の始まり、月曜日です。

無理せず、無駄なく、むらなく。

全力で過ごしたいと思います。



日々努力であり、常に前向きに。

ついてる!ついてる!ついてる!

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。


いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。


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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。