夢への軌跡_嫁のファインプレー

20160825_嫁のファインプレー

【嫁のファインプレー】

おはようございます。

四国での夏季休暇を満喫しております。

一昨日は、金比羅さん、栗林公園と香川県の名所を訪れ、

義母も嫁も大満足な一日でした。

もちろん、我が娘も体力がないのに頑張って階段を上がった

という出来事がついてきました。

非常に良い金比羅さん参りとなりました。

今後、金比羅さんに行かれるときに年配の方と

同行される場合、地元の裏技がありますので

お教えいたします。

あまり、表には出ていないようですが、

それぞれ、WIN-WINの構図になりますので

大きく宣伝はできないものの、

非常に役立つ情報となります。

困っている方、興味のある方は

個人HPかAmebaで

メッセージを残してくださいね。

FBでは、見落としが多いのでごめんなさい。

さて、その裏技はおいといて、

昨日は丸亀城、金比羅さんの仲見世、桂浜、そして、

足摺岬とロングドライブになりました。

走行距離は約250キロ。

いつも私の営業距離に比較すると

大したことはないのですが、

人が乗っていると、緊張しますよね。

ましてや、レンタカーですので。

その移動距離で気が付いたことは、

我が嫁のナイスプレーですね。

言わずもがな、義母と娘は後部座席で爆睡中です。

ナビゲーターシート(助手席)に座った我が嫁は

色々とうるさいなぁと思うようなことを

話しかけてくるんですね。

例えば、

「香川県のぼこぼこ山はさぬき富士って言うらしいよ。」

『でもさぁ、そのさぬき富士はたくさんあるじゃん。
どれが、そのさぬき富士かはわかんないよね。』

「金比羅さんの上からは地図があったんだよね。」

とか。

「高知駅に寄ってみようよ。銅像があるらしいよ。」

『いいよ。山越えで雨だけど写真は撮れるかなぁ。』

「言ってみて、ダメだったら諦めよう。」

『はいよ。ほいでさぁ、お昼はどうする?』

「近くに市場があるらしいから、そこにしよう。
たぶん、カツオづくしかもしれないけど。」

など。

さすがでした。

あまり、嫁は褒めたくないですが、

4人での旅行の為、事前準備が整っていなかった私の

フォローをしてもらえました。

あとは眠気覚ましで話しかけたのだと思います。

結局、高知駅北口では、

坂本龍馬像、武市半平太像、中岡慎太郎像の

3人の銅像の写真を取得でき、

ひろめ市場というところで、

それぞれ好きな食べ物を昼食として

食べることができ、

あとは桂浜で ≪坂本龍馬像≫ を大きく見ることができ

まぁ、これも嫁さんのおかげですね。

感謝感謝です。

画像はおすそ分けです。

桂浜の絶景です。
20160825_katsurahama

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。