夢への軌跡_若返りの気持ちと仕事

20160821_若返りの気持ちと仕事

【若返りの気持ちと仕事】

おはようございます。

今日も自宅からです。

昨日の嵐のような天気で自宅に居ながらも

少々ビックリしているお父さんです。

自宅にひとりで留守番をしていると

いきなりのゲリラ豪雨に窓を閉めて

洗濯物をしまって、と慌ただしく家中をかけめぐり

ある意味、運動をしている状態でした。

さて、今日のお題は【若返りの気持ちと仕事】です。

アラフィフにもなるといろいろな方々と一緒に

仕事をすることとなります。

新入社員のような若い方から、年配の取締役まで

幅広く、面談していきます。

キーパーソンとなる方はある程度の年齢層にはなりますが、

営業担当者と呼ばれる方は、大卒すぐの20代となります。

20160821_antiaging
先日、ある施設担当者である、25歳の若い女性と

一緒に仕事をしました。

かなり、できる女性なのですが、

苦手意識が強く、権威のある人との面談には

緊張してしまう癖があるようです。

緊張をほぐしてあげるために、

色々な世間話をしましたが、

『あれ?痩せたんじゃない。

以前の時に比べると一回り小さくなったよね。』

「以前は生意気盛りで、態度が大きかったから

小さく見えるんじゃないですか?」

『そんなことないでしょ? ん?

綺麗になったんじゃない?』

「またぁ、上手ですね。」

でも、明らかに気づいてもらえて

嬉しがっているのはわかりました。

そこで、

『じゃぁ、腕組んで私と歩けるかなぁ?』

「大丈夫ですよ。 一回りくらい上の人でもOKです。」

『いくつに見える?』

「・・・」

『還暦だよ。』

「うそでしょ?」

『うそだよ。うそに決まっているじゃん。』

「40前後ですよね?」

『50だよ。マイナス1だけど。』

「お父さんと一緒だぁ。」

『じゃぁ、お父さんと腕組んで歩こう。』

ちゃんちゃん。。。

という会話で気分良くなった私は、

権威ある医師との面談となりました。

結果はOKなのですが、

要は【アンチエイジング】ですね。

この年になると10歳、若く見られることは必須ですね。

その為には努力ですね。

筋トレ、運動、化粧品、マッサージなどなど。

外回りの私には、欠かせない項目ですね。

日々、若返りをエンジョイしましょう。

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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やっぱり ≪思い込み≫ っていけませんね。

自分自身の可能性を自分で閉ざしちゃう。

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。