夢への軌跡_糖質制限28_予期せぬ結果2

20160702_糖質制限28_予期せぬ結果



【糖質制限28_予期せぬ結果その2】




2015年12月に健康診断で二次検査となり、

糖質制限を始めたわけですが、

空腹時血糖を下げるということと

HbA1cを下げるという二つの目的がありました。


医師からは、『少し痩せなさい』という程度でした。


頑固者の私は、

指示通り、完璧主義を狙って

2015年12月21日にスタートし、

既に半年以上が経過しています。


糖質制限という食事メニューは

「糖質を控えましょう」ということであって

「ゼロにしましょう」ということではありません。


糖質のない食事だけとなると

かなり不可能に近くなりますし、

栄養バランスが悪くなると考えられます。


米の替わりに大豆、ナッツ類となります。

同じ100gであっても3分の1程度まで

糖質摂取を下げることができます。

従い、1日の摂取量を最小限に抑えることが

可能となります。


例えば、6枚切り食パン1枚で約60gの糖質を摂取できますが、

大豆100gでは約17gとなります。

アーモンド100gは約8g、ピーナッツ100gは約12gとなり、

大幅に制限可能となるわけです。


その【予期せぬ結果】としては、

1週間で3㎏は確実に減量できますし、

私の場合、1か月で7㎏の減量に成功しました。

半年で10㎏減という数字も

あながち嘘ではありません。

事実、私が達成しているように。


目標としていた血糖値やA1cについては

こちらをご覧ください。

http://ameblo.jp/fukuyamashow/entry-12172135006.html


悩んでいる方はぜひ、一度トライしてみることをお勧めします。

これにより、糖尿病と呼ばれる患者さんが

少なくなることを期待します。


画像はある日の朝食です。

ホテルのビュッフェですので

選び放題です。


良く見てください。

特徴があると思います。

本来、何を主として食べたら良いのか

ということを考えると

肉、卵、チーズです。


Meat

Egg

Cheese

の頭文字で

MEC食とも言われています。



今日も一日、頑張っていきましょう。





素晴らしい一日をお過ごしください。

最後まで読んでいただきありがとうございます。


いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。



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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。