夢への軌跡_リピーターとの関係

20160819_リピーターとの関係

【リピーターとの関係】

おはようございます。

今日は仙台から出発し、盛岡に滞在中です。

東北地方の空を眺めながら、北上していると

関東より雲の動きが激しいですね。

20160819_touhokusora

さて、本日のお題は【リピーターとの関係】についてです。

以前の投稿で【カスタマー】と【クライアント】の違いを

伝えましたが、今回はその【クライアント】と同一の意味となる

【リピーターとの関係】になります。

売り手でも買い手でも、【リピーターとの関係】は必要ですね。

今回、自分の車の車検に関わることで

ディーラーの営業担当者さん(Mさん)と話をすることになり、

この【リピーターとの関係】に気付きました。

このMさんは、買い手の私からすると

『数字に結び付くときにしか、連絡がこない』という

印象を持っている営業担当者さんです。

その車は我が家に来てから、5年。

長い間、ブレーキ音で悩まされてきました。

定期点検、車検の度に、『直してほしい』と伝えていました。

その時には、整備士さんが窓口であったのですが、

そのディーラーさんにはメンテナンス記録があり、

履歴が残っているのですね。

点検や車検の度に、そのMさんから連絡があり、

予定を組んでいました。

さすがに今回は、『直らないのなら、買い替えを視野に入れる』

そして、『そのMさんの会社の車は買わない』とまで

伝えました。

なぜなら、メーカーでは、ブレーキ関係は同じ下請け会社が引き受けていて

同じローター、同じブレーキパッドなので

どの車を買っても同じ症状が出て当たり前と考えたからです。

すると、そのMさん、「直ったら、支払いをお願いします。」

私は、『過去に新品のパッドに交換してブレーキ音が消えなかったので

その金額をこちらが負担しています。せいぜい負担しても1万円ですよ。』

私自身は『直らないだろうなぁ。5年も直らなかったのだから。』

と思っていました。

そして、何をどのようにいじったのかはまだ不明ですが、

ブレーキ音の症状が消えたんですね。

それで、継続使用となり、車検を通すことになったのですが、

請求額がブレーキパッド交換で15,000円とのこと。

『約束がちがうでしょ?』と電話で伝えました。

そのMさんは、

「総額33,000円かかっているので半額以下となります。」

『理解はできますけど、5年も苦しんでいるんですよ。

過去にパッドを交換して、その費用はこちらが負担しているんですよ。

数字が必要な時ばかり電話が来て、あまり、気分良くないですね。』

と私は伝えました。

企業として、利益を追求しなければならないのは、

私も逆の立場で営業活動をしているので、理解はできます。

しかしながら、履歴を確認することなく、電話営業のみの

数字を追い求める営業担当者は好きになれませんね。

信頼関係がなりたっていないのですね。

リピーターとして、同じ店舗を利用しているにも関わらず。

残念ですね。

今回の一件は、車ですけど、【リピーターとの関係】が

しっかりと構築できていないが故に齟齬が生まれるんですね。

売り手として営業活動をしているときに

このようなことのないように、注意したいと考えた件でした。

買い手との信頼関係は大事ですね。

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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今日も一日、頑張っていきましょう。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。