夢への軌跡_ハワイかなぁ、グアムかなぁ、国内温泉も・・・

【ハワイかなぁ、グアムかなぁ、国内温泉も・・・】

 

BMTS生・永遠の35歳・の福山 紫生です。

 

ニューロ言語プログラミングを学んで

顧客の心理を理解する。本業・副業問わず

成果続出のプログラミング!

私・福山 紫生は、これで、

副業収益20万円突破しました。

 

このニューロ言語プログラミングには

非常に大きな特徴があります。

 

『はじめの一歩』から一人ではないという素晴らしい

プログラムです。

 

なぜ?一人ではないか?

一人で何を行うにしても孤独感を味わうと

途中断念が多くなりますよね。

 

もともと、成功をイメージして

加入したにも関わらず、孤独に作業をしなくては

ならない環境に嫌気がさしてしまい、断念と

なる人が多いのですね。

 

ですから、月間5000円以上稼げる人は

このネット業界では5%にとどまってしまうわけです。

あなたが、始めるときにはどうしますか?

 

「手厚いフォローが欲しい!」

という声も聞こえてきますよね。

 

置き去りになってしまう場合には

そのまま、置き去りされてしまいます。

 

それが、ネット業界の悪いところです。

 

しかし、このBMTSについては

フォローする人が非常に多く存在します。

 

だから、成功確率が上昇するわけですね。

 

ハワイ、グアム、国内温泉?

どれでも良いのです。

 

このレポートで実感できますよ。

https://fukuyama-syo.com/1qf3

 

 

もっと、早く、内容を知りたいという

あなたには、こちらです。

https://fukuyama-syo.com/d3z0

 

もう時間はないですね。

15日が締め日となります。

 

14800円の初月費用を支払って

毎月2980円の継続購入です。

 

それによって、音声レポートと

必ず、成果が出るレポートが得られます。

 

いつから始めますか?

早いに越したことはありませんよ。

 

あと数時間ですね。

 

あなたに気付きが訪れますように。。。

 

あなたの人生に光が、

そして、残りの時間を有意義に過ごせますね。

 

 

 

今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

――――――――――――――― 

 

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#2017革命

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いつも、「いいね」と「コメント」を

ありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。