夢への軌跡_営業中の憩いの場所での観察

20170712_営業中の憩いの場所での観察

 

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【営業中の憩いの場所での観察】

 

おはようございます。

 

今日は朝早くから、房総へ旅立ちます。

まぁ、同じ千葉県ですけど。。。

(笑)

 

日帰りの出張気分ですね

 

こういう時には休憩もなかなかとれず、

常にクルマの中ということもありますね。

 

愛車の中ですけど、

苦痛は伴います。

 

しかし、そういう日もあれば、

時間的自由もありますね。

 

昨日は、外回りとなっても

近場であると、というより、

空いた時間で何ができるか?

と考えると。。。

さまざまなところでPC作業が

出来ますね。

 

車中であったり、コンビニであったり

スタバであったり、と

それぞれの営業担当者の好みでしょうね。

 

私の場合、

空いている時間が出来ると

ほぼ、

車中で残務処理を行っているのですが、

姿勢が悪くなり、腰の負担が大きくなる

ことも考えられ、最近は、

デスクワークをマックで過ごします。

 

冷房が効いており、電源がとれます。

 

Wifiもありますが、不安定なので

スマホのテザリングですね。

 

いつでもどこでも業務が出来るということは

一見、便利そうなのですが、

常に監視されているようで、

イヤな気持ちにもなります。

 

しかし、一方的に発信する(回答する)だけ

であれば、このような業務形態も

快適ではないでしょうか?

 

オフィスに行く交通渋滞に

巻き込まれることもなく、

満員電車に乗ることもなく

意外と快適ですね。

 

そして、時間の有効活用を行うべく、

上司にPCで報告、連絡、相談という

流れになります。

 

個人的には快適感満載のシステムだと

感じています。

 

昨日も訪問先の駐車場でPCを開けて

いろいろ打ち込んでいる営業担当者が

いました。

 

「あー、同じような環境なんだなぁ」と

思いました。(笑)

 

ましてや、同じプリウス、

同じ色であったので

駐車場で間違えそうになりました。(笑)

 

ビックリですね。

 

さて、ということで今日のお題は

【営業中の憩いの場所での観察】です。

 

エニアグラムを学んでいると

人間ウォッチングが好きになります。

 

このカップル(同僚)はどのような関係か?

話題的にどのような会話をしているか?

どのようなタイプか?

 

正解は自分で生み出すので

何でも正解なわけです。

答えを教えてもらえる人はいません。

 

ですから、しっかりと観察していると

新しい発見があります。

 

『この二人は同僚だな!』と思って

会話を聞いていると

 

「●●さんはどう?」

『どうって?』

「どう感じる?好き?嫌い?」

『いやぁ、特別感じないなぁ、

 まぁ、嫌いじゃないけど。。。』

 

という会話をハンバーガーを食べながら

していました。

 

私として見たら、パソコンを見ながら

『ふーん、この女性はこの男性が

 気になるのかなぁ?』

と思いながら、会話に耳を傾けていると

 

その●●さんとは、

その二人の上司であり、女性のようでした。

 

ということは、

その女性は一緒にお昼を食べている

男性のことを気にしているのか?

とも思いつつ、会話を聞いていると

その女性は、ハンバーガーを

大口でパクリ、と食べて

その男性を気にしていない様子でした。

 

更に、男性は、女性の話を聞きつつも

常に遠慮がちで聞き手に

徹しているようでした。

 

肉食女子と草食男子の絵かな~とも

思いつつ、会話を聞いていると

先輩後輩の間柄でこれから顧客への訪問を

一緒に行うようです。

 

先輩は女性、男性は後輩となるのですね。

 

女性は、タイプ8の7で親分肌

男性は、タイプ1の2で規律に厳しいけど

恩恵を頂きたいタイプですね。

 

親分女性との会話で終始、

誘導されていた男性は、

店を出るときに、しっかりと

片付けを女性の分まで行っていました。

 

しっかり者ですね。

 

この一瞬で女性が後輩の男性に

惹かれるかもしれませんね。

 

とも思いながら、スクリーンを目前に

モクモクと仕事をこなしていた私は、

寂しい男性に映ったのかも

しれません。(笑)

 

本人は、全然問題ないのですけど。(笑)

 

因みに私はタイプ3の2です。(怒)

 

猪突猛進型の成功イメージに

まっしぐらで走ります。(笑)

 

 

 

 

 

今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

――――――――――――――― 

 

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#2017革命

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。