まずは、『はじめの一歩』が大事です。

【まずは、『はじめの一歩』が大事です。】

 

BMTS生、永遠の35歳・福山 紫生(Syo Fukuyama)です。

 

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ニューロ言語プログラムを使って、

パルテノン神殿のように、収入の柱を!!!

しっかりと構築できた成功プログラムを学習しましょう。

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土日も出勤のお父さん、

本当にお疲れさまです。

 

本当なら、ゆっくり自宅で静養、

もしくは、子供たちと一緒に

夏休みの計画をしているのでは

ないでしょうか?

 

そのような最中で

一瞬、頭の中をよぎる「副収入を得たい」

という気持ちが芽生えてきますよね。

 

日本人の平均年収は約400万円です。

 

あなたの年収は、おそらくそれより

上ではないでしょうか?

 

だから、

「悪くはない、今の生活を維持するために

 ガンバロウ。そして、嫁さんに少し

 パートをしてもらえれば、困らない。」

と自分を納得させていませんか?

 

更に、

「まだ、子供にもお金はかからないし、

 何とかなるさ!」

と楽観視していませんか?

 

「自分の時間を削るのもイヤだし、

これ以上、どうやって、やることを

処理したら良いのか?」

と自分の今の環境や現状を認知して

あなたの可能性について、

黙認していませんか?

 

誰にでも同じことが言えますね。

 

しかしながら、副業で収入を得ている人は

あなたと同じ環境下でも、しっかりと

稼いでいる人はたくさんいます。

 

何が違うのでしょうか?

 

大きな点は、時間配分ですね。

今の生活の中で、何か削れる時間は

ありませんか?

 

例えば、

残業時間

通勤時間

帰宅後のリラックス時間

テレビを見る時間

入浴時間

食事時間

などなど。

 

見直してみると、時間は作れるものなのです。

 

何を優先するのか?によって、

時間配分が変わってきますね。

 

その時間を利用して

例え10分でも学びに投資です。

 

いきなり、

武器を持たずに戦場にはいかれません。

 

大怪我をすると、立ち直れなくなりますよ。

 

怪我をする前に

あなたの時間を学びに投資しましょう。

 

そして、準備ができてから、

大きく羽ばたけるようにしていきましょうね。

 

その準備は、何をするか?ですね。

 

お勧め教材は、無料で手に入れられます。

https://fukuyama-syo.com/1qf3

 

こちらで、しっかりと学びましょう。

 

学びは副業での武器になります。

武器無くして、戦えません。

 

心身ともに怪我はしたくないですよね。

 

https://fukuyama-syo.com/1qf3

 

 

今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

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決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#2017革命

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いつも、「いいね」と「コメント」を

ありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。