夢への軌跡_憧れの夏休み!!_温泉だよ!

【憧れの夏休み!!_温泉だよ!】

 

BMTS生・永遠の35歳・の福山 紫生です。

 

もうすぐ、夏休みですね。

我が家では、あんな計画、こんな計画と

食卓で夢を語っています。

〇〇さんのおうちは、家族でハワイ

△△さんのおうちは、奥さんの実家

◆◆さんのおうちは、軽井沢で長期休暇

〇〇さんのおうちは、自宅で静養

なんて、色々過ごし方がありますよね。

 

我が家もいろいろ計画中ですが、

国内でゆっくりしたいと思っています。

 

子供が中学生ともなると

宿題や部活が多くて

ちょっと長期のお出かけには

障害が出てきますね。(笑)

 

しかし、国内温泉旅行計画中です。

 

大きなお風呂で、足を伸ばして

ゆっくりくつろいで、

お料理は、たらふく、上げ膳据え膳で

お母さんも日頃の疲れをゆっくり

癒せますね。

 

食後の寝る前には、飲酒は控えて

マッサージですね。

 

「あー気持ち良い!!」

という言葉がもう出てきてしまいそうですね。

 

そんな夏休みを想像しながら、

新たな一歩を踏み出して

給料日を増やしましょう。

 

世のお父さんは、お小遣い制の方が

多いようですね。

 

あと10万円あったら・・・

なんて考えたことありませんか?

 

私も給料日はいくつもあります。

 

少しずつ、自分のやりたいことを

そして、家族のやりたいことを

実現ですね。

 

今年の夏休みは、温泉だぁ。

 

その前にこれを読まないと。

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あなたに気付きが訪れますように。。。

 

あなたの人生に光が、

そして、残りの時間を有意義に過ごせますね。

 

 

 

今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

――――――――――――――― 

 

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#2017革命

――――――――――――――――

 

いつも、「いいね」と「コメント」を

ありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。