夢への軌跡_エンパワーメント【家族編】

20160814_エンパワーメント【家庭編】

エンパワーメント【家庭編】

おはようございます。

みなさん、お盆休みは休養でしょうか?

それとも、線香をあげにあちらこちらへの訪問でしょうか?

我が家は、昨日日帰りで2件のお参りに行ってきました。

どちらも、近い所なので、日帰りで十分でした。

さて、今日のお題は ≪エンパワーメント【家庭編】≫とします。

昨日の我が家の行動は、色々な理由から、100㎞はなれた

茨城県の私の実家と義母の実家と2件、それに

嫁の実家の合計3件を回ってきました。

理由は日曜日に別の予定が入ったため、

早々に帰宅しました。

その間、目的意識を共有し、

ここには30分、ここには2時間、ここには19時までに到着と

売れっ子の芸能人のようなスケジュールでした。

車で移動しましたが、往路は大渋滞と事故にはまり、

「帰りはいつになることやら。。。」と

考えていましたが、

思った以上にすんなりと時間を過ごすことができ、

有意義な土曜日となりました。

やはり、このタイムマネジメントの意味合いを

家族で共有できたからこそ、

無駄のない行動ができたとも言えます。

私の実家には、2時間と決めていたのですが、

もともと、頼まれていた枝切りや草取り、庭掃除と

間髪を入れずに、対応し、1時間半で終了させました。

その間、嫁と娘は私の両親の話し相手となり、

聞いてあげることだけで、両親の気持ちも晴れたことでしょう。

残りの30分で、シャワーを浴びるか、私は悩んだのですが、

すぐに着替え、お茶を飲み一服し、すぐに『帰るぞ』と発声。

車に乗り込み、出発して実家を後にしました。

まぁ、嫁にしてみれば、長居はしたくないであろうということと

私自身、シャワーを浴びたら、ビールを飲みたくなり、

車の運転ができなくなると予想した結果でしたが、

結果としては大正解でした。

また、その後、19時までに、嫁の実家へ到着し、

夕飯をともにし、20時過ぎに出発して、

我が家にて寛ぐことができました。

これも、事前に計画を立てて、

家族内で情報を共有し、極力時間内で終わらせ

ムリ・ムダ・ムラのない生活をMissionとした結果であると

思います。

嫁と娘に感謝するとともに、

我が家の【エンパワーメント】が発揮できた

良い日であったことは言うまでもありません。
20160814_enpowerment family

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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やっぱり ≪思い込み≫ っていけませんね。

自分自身の可能性を自分で閉ざしちゃう。

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。