夢への軌跡_糖質制限29_緩み

20160808_【糖質制限29_緩み】

【糖質制限29_緩み】

おはようございます。

夏場の暑い最中、体調管理に注意してくださいね。

ご存知の方も多いと思いますが、

月に1回くらいは原点に戻りたいと思い、

【糖質制限】をお題にしたいと思います。

7月にちょっとした緩みで、

夕食1回だけ、糖質制限をリリースしました。

食べた料理はタイ料理でした。

生春巻き、カレー、ガパオ、そして、ごくごく一般のビールでした。

帰宅後、びっくりするくらいの体重増に

開いた口が塞がらないという

久しぶりに自分への教訓を打ち出した夜となりました。

元に戻すまでには約1週間。

歩数もそれなりに上げて、

極力、歩数稼ぎに走りました。

20160808_tairyouri

言わずもがな、2㎏増であり、

1週間で2㎏減。

その時は、【糖質制限】開始当初と同じくらい

厳しかった記憶がよみがえります。

【糖質制限】の食事をとっている方が

多いのかもしれませんが、

緩みを戻すのに、1週間かかる私は、

このまま、糖質制限を継続で

行っていた方が楽かも?と考えています。

1日の糖質摂取量は約50gで抑えて

もちろん、甘いもの、ケーキなどもなしとなります。

ごはん1杯で、糖質を約50g摂取してしまうので要注意ですね。

イタリアン、中華ともさようならという状況です。

そうめん、うどんもアウトですね。

私の主食となる、ブランパンは

売上が良いのか、なかなか、手に入れられず。

毎日、ローソンをはしごしている状況です。(笑)

ある人は、「日本一まずいパンだと思っていたけど、・・・」

と言われることもあり、

がっかりしたときもありましたが、

あと4㎏、減らしたいなぁと考えている私です。

そうすると、結婚式の体重なんですよ。

いつまでかかるかは不明ですが、

とりあえず、目標を決めて頑張っています。

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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やっぱり ≪思い込み≫ っていけませんね。

自分自身の可能性を自分で閉ざしちゃう。

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。