夢への軌跡_精神異常者

20160803_精神異常者

【精神異常者】

おはようございます。

昨日は、千葉県内劇場のような

全ての天候を1日で感じた日でした。

いやぁ、本当にすごかったです。

さて、今日のお題は【精神異常者】という言葉です。

特別、病気を表しているわけではなく、

ビジネスを構築する上で、良く使われる言葉ですね。

20160803_seishinijou

また、人生を変えようとするセミナーでも

良く使われています。
あくまでも比喩表現なので

誤解のないようにお願いいたします。

ちょっと、耳慣れない言葉だと思いますが、

要は、変化ばかりを期待していて、

自分の行動を全く変えようとしない人を指します。

1. 「あと、5万円あればなぁ、給料が上がらないかなぁ」

2. 「もう少し、時間がほしいなぁ。そうすれば、○○ができるのになぁ。」

3. 「この仕事は嫌だなぁ。他にないかなぁ。」

例として3つ挙げてみました。
思い当たる節のある方は行動が必要ですね。

1の場合、天からお金は降ってきません。労働をするか、投資をするか、

何か新しいことを始めないと5万円は得られません。

2の場合、1日24時間は決まっています。誰もが同じ時間ですね。

その活用方法を学ばない限り、自分の時間は増えません。

3の場合、会社員であるなら、転職を検討しなくてはいけませんし、

エージェントへの登録がまず第一歩ですね。

【精神異常者】とは、毎日同じことをしていて

違う結果を期待する人のことを指します。

そんな【精神異常者】にならないためにも

日々、前進ですね。

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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やっぱり ≪思い込み≫ っていけませんね。

自分自身の可能性を自分で閉ざしちゃう。

あなたの可能性試してみませんか?

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。