夢への軌跡_時代劇の重要性

20160705_時代劇の重要性



【時代劇の重要性】



おはようございます。


今日のお題は【時代劇の重要性】です。


恐らく30代以上の年齢の方々は、

毎週、ご覧になっていたテレビ番組を思い出すと思います。


水戸黄門や大岡越前、大江戸捜査網など

大きなテーマは「悪は滅びる・勧善懲悪」という本筋から

悪人を倒していくという番組です。


関東ではTBS系で月曜日の20時からが常であったと思います。

大江戸捜査網はTV東京の土曜日であった記憶があります。


このような番組が終焉を迎えるに連れ、

「子供への教育はどうすべきか?」と少し悩みました。

時代の流れと言ってしまえば、仕方ないですが、

当時は松下電器(national)というブランドを掲げ

天下の松下がスポンサーとなり、放映していた時代劇ドラマです。


その番組を祖父母とともに一緒になって

テレビを見ている姿が思い出されます。


その松下も会社名をPanasonicに変更し、

富士重工もスバルへ変更するという発表がされました。


勧善懲悪の舞台では、日本の古き良き時代を確認しながら

成長した我が幼少時代も何らかの影響を受けていたと思います。


現在の「いじめ」を一つとってみても

陰湿な背景の下、命を奪うまでに行動を起こしてしまう。

そのような現状を悲しいと感じます。


時代に変化はつきものですが、

基礎となる「人間性の教育」は

変えないでほしいと思う反面、

世界に通じる人間を育成するための

「考え方の教育」については

国をあげて取り組まなければならないのでないか

と感じる今日この頃です。


皆さんはどのように感じるでしょうか?

島国であるが故の利便性を確認し、

世界に通じる人間の育成を

そして、勧善懲悪の教育を

そのような感性豊かな人間を育成することが

できれば、理想的な社会であり、

自己責任の観点から考えられる日本人が

多くなるのではないか?

と考えてしまうこの頃です。


ご意見がございましたら、

コメントを頂戴いただけますよう

お願いいたします。



日々、成長です。

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。



常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。


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やっぱり ≪思い込み≫ っていけませんね。

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。


いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。


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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。