夢への軌跡_「わからない」と言える勇気

20170331_「わからない」と言える勇気

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【「わからない」と言える勇気】

 

昨日は、半休を利用して

小粒ちゃんの眼科診察に行ってきました。

 

名誉院長という肩書であったので、

少々、びくびく状態で診察を受けました。

 

予約診療でプラスアルファ4000円です。

この先生に診てもらえるのであれば、

高いと思うか、安いと思うか?

ともいろいろ考えましたが、

ひどい時には4ヶ月待ちです。

 

であるなら、『4000円では買えないね』

とも考え、いざ、診察へ。

 

ということで、今日のお題は

【「わからない」と言える勇気】です。

 

病院に行って、診察を受けるとき

あなたは、どのように期待していますか?

 

これは、素朴な疑問です。

「特効薬を処方してもらい、痛みを避ける。」

「病名を判明させて、治療法を考える。」

「原因を追究し、生活改善をする。」

など。

 

それぞれの、患者の思惑が異なりますね。

我が家では、今回の名誉院長への訪問は、

目的として、

『原因がわかるかなぁ?』

『なにか、対処法がわかるかなぁ?』

という二つの理由から

特別予約診療費用をお支払いして

診察に臨みました。

過去の小粒ちゃんの14年の歴史を伝え、

その名誉院長は、

しっかりとカルテにメモを取り

聞き洩らさずに、書いていました。

 

薬剤の変更の理由や、薬剤の名称についても

辞書を片手に、真摯に受けてもらえました。

 

いろいろ、話した結果、

「私の求められていることはなんだい?」

『その紹介状にかいてある通りです。』とお父さん

「ん?この紹介状に書かれている内容の

 処方は必要ないです。

 更に、それ以上のことは、

 私にもわからないです。」

『QOLを上げるために何が必要ですか?』

「光過敏症だから、今までのメガネを利用して

 眩しいと感じたら、発作の予兆だから避ける。

 ということが必要です。」

『眼瞼の痙攣は、眼瞼痙攣ではなく、

 脳波異常からくる予兆と判断して良いのですね。』

「そうですね。神経眼科専門の私からすると

 紹介状に記載してある、眼瞼痙攣ではなく、

 小粒ちゃんは、眼瞼の痙攣であって、それが

 予兆と思います。 従い、

 QOLを向上させるためには、

 自分で注意して生活をする必要があります。」

とのことでした。

 

最後には、

『脳波との関連性については、私にはわかりません。

 神経眼科として、言えることは、

 眩しくないように過ごすことのみです。』

とのことでした。

 

俗にいう、

医師にお任せ状態では、

ここまで辿り着かなかったでしょうし、

ここにたどり着いた際に、

怒りを生む人もいると思います。

小粒ちゃんの父である私は、

『すごいな、この人。

 医師でも「わからない」って言えるんだ。』

と思いました。

 

特別、小粒ちゃんは生活に異常があるわけではなく

「眩しい」という主訴のみです。

 

その主訴をしっかりと理解して、

自分ではわからないと言えるのは

『逆に凄いなぁと思いました。』

 

専門以外の分野には、手を出さない。

というのがポリシーかもしれませんが、

素直に言える老年の医師に

敬服しました。

 

流石です。

いろいろなところで講演もされているようです。

 

やはり、難病なのね。

という確認と

脳波由来であり、しっかりと自分で

管理しないといけないということを

小粒ちゃんに伝えました。

 

今日は、非常に勉強になった日でした。

やはり、素直が一番ですね。

 

すがすがしい気持ちになりました。

 

 

今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

――――――――――――――― 

 

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。