夢への軌跡_【糖質制限】39_薬剤師もびっくり!!

20170311_2_【糖質制限】39_薬剤師もびっくり!!

 

 

【【糖質制限】39_薬剤師もびっくり!!】

 

今日は嬉しいことがあったのでシェアします。

 

本日、3ヶ月に一度の検診でした。

シャキシャキ江戸っ子女医との診察です。

 

彼女と会って、1年半になりました。

私の糖尿病克服のきっかけを作って

もらえた女医さんです。

 

「いやぁ、福山さん、久しぶりぃ~」

『先生、血液検査GOODでしょ?』

「そうね。A1cは5台、尿酸値も正常値だから、

 OKね。やっぱり、糖質は日本人には悪さを

 するわね。日本人には合わないのね。」

『理解している人は少ないですよね。』

「そうね。私は、高雄病院の受け売りだから。」

『いやいや、普及させましょうよ。』

「問題視している人には良い解決策よね。」

 

という、たわいもない会話を診察室で

楽しみながら、

 

「今回の処方箋から糖尿病薬抜きね。

 いずれ、尿酸の薬もなくなるわね。

 もう少し、様子を見ましょう。」

 

ということで、晴れて

『脱・糖尿病薬』です。やったね。(^^)v

 

そのような処方箋をかかりつけ薬局へ

持っていきました。

 

薬剤師のお兄さんが、

「福山さん、お薬が減っていますけど。」

『はい、卒業です。(笑)』

「どうしてですか?」

『どうしてもです。』

「数か月後に復活ですか?」

『いえ、二度と必要ないと思います。』

「本当ですか?」

『はいっ!』

 

ということで、

薬剤師のお兄さんもビックリしていたので

『体重を13kg、減らしました。』

「そうですか? それでしたら、納得です。」

 

ここでもお披露目の

『脱・糖尿病薬』です。やったね。(^^)v

 

まだまだ、メジャーではない【糖質制限】ですが、

人間の本質に追究しているということが理解できました。

 

是非、あなたに知ってもらいたい【糖質制限】です。

多くの人に知ってもらいたいですが、

特にあなたに知ってもらいたいと思っています。

 

何ごとも

健康であるが故に、活動ができますね。

 

その健康をあなたが取り戻すために

私は、情報発信を始めます。(^^)v

メルマガです。

 

あなたには特に、登録をお願いいたします。

登録はこちらです。

https://maroon-ex.jp/fx23418/fx8mM1

 

では、メルマガでお会いしましょう。

 

 

今日の夕飯です。

ご飯は食べませんが、ボリューム満点です。

これでも太りません。(笑)

 

今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

――――――――――――――― 

 

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#2017革命

*****************************************

福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

 

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。