夢への軌跡_眼科と言えば・・・井上でしょう。

20170311_眼科と言えば・・・井上でしょう。

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【眼科と言えば・・・井上でしょう。】

 

おはようございます。

 

日なたと日かげで体感温度の違いが

激しく、体調管理に気を遣う季節ですね。

 

昨日は、飲んだ薬の副作用で

小粒ちゃんが朝、起きてこず、

お母さんが一人で学校に行った

珍しい日となりました。

 

学校に行った理由は、こちらです。

https://fukuyama-syo.com/archives/date/2017/02/22

 

このまま、薬との格闘になるのか

否かは不明ですが、

副作用との戦いになりますね。

 

小粒ちゃんを連れて学校へ、

お母さんと合流し、今度は

眼科クリニックへ。

 

大きな大学病院で匙を投げられ

次に行くは井上さんです。

 

しっかりと大学病院の紹介状を持って。

 

こう考えると、健康は大事ですね。

 

ということで、今日のお題は

【眼科と言えば・・・井上でしょう。】

です。

 

非常に有名な眼科ですので

ご存知の方も多いはず。

 

難病と言われるような病状から

一般的な眼科での問い合わせまで

更に、小児眼科があるので

小さな赤ちゃんも診察に来ています。

 

私も実は初めてであったので

中に入ってビックリ。

 

ユニバーサルデザインが目の悪い人用です。

照明の蛍光灯で道しるべを作り、

更に、フロアのタイルでも場所を

明示できるようになっています。

そして、都心の20階で眺めも良いですねぇ

 

遊びに来た感があるくらいです。

非常に良い場所でした。

そもそも、「初診は3時間くらい」と

言われていたので、覚悟はしていましたが、

事実、4時間でした。

 

初診で行うはずの検査を少し飛ばしても。。

です。

 

飛ばした理由は、小粒ちゃん本人の

疲労度が高かったので

キャンセルしました。

両親ともに疲労度がマックスでした。

待ち時間と言い、病状説明を言い、

全て親任せの小粒ちゃんですから。(笑)

 

また、来週、この続きをおこなってもらいます。

私は行かれません。(笑)

 

『後は、任せた!! お母さん。』 

です。(笑)

 

幸い、お茶の水の駅近なので

電車でも訪問可能です。

もしも、仮に目で異常を感じたら

電話で予約を取って診察してもらうことが

望ましいですね。

 

それでも、3時間はかかります。

 

今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

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決断するということは、

引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が

成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#2017革命

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。