夢への軌跡_習慣化

20160729_習慣化



【習慣化】


おはようございます。

今日は金曜日ですね。


私は、自宅に戻って千葉県の雰囲気≪暑さと蒸し≫を感じました。

いやぁ、東北とは異なりますね。

うーん、一言。「暑いです。」


さて、今日のお題は、【習慣化】です。

過去にお伝えした【習慣】という内容の補足となります。

http://ameblo.jp/fukuyamashow/entry-12169808932.html


昨日も【思いの種】について

お伝えしましたが、

【思いの種】がゴミだと

得るべき【人生】もゴミになりかねませんよね。



では、改めて、

思いの種をまき、行動を刈り取り

行動の種をまいて習慣を刈り取る

習慣の種をまき、人格を刈り取り

人格の種をまいて人生を刈り取る


【習慣化】にするためにどうするのか?

となります。


【習慣化】にするためには3つのことが

必要になります。


それは、≪知識・方法・やる気≫となります。

例えば、ダイエットについて考えてみましょう。


ダイエットの ≪知識≫ としては、痩せるということで

体重を減らしたいと考えますよね。

体重の減らし方は、理解しています。

摂取量と消費量のバランスですよね。

消費量が高ければ、ダイエットになります。


次に、ダイエットの ≪方法≫ です。

運動や食事制限となりますが、

運動を増加させるために

『毎日1万歩、歩きましょう。』

と ≪方法≫ を理解します。


≪方法≫ を理解すれば、あとはやるだけですね。

その、 ≪やる気≫ については、

気持ちがついていかないと、

途中で断念してしまう可能性があるので

しっかりとした、『一か月で3㎏、減量』というような

目標を掲げます。

それでも、やらない場合がありますよね。

そうすると、【習慣化】に黄色信号がともります。


ここで、断念してしまうと

人格形成にも黄色信号ですね。

しっかりと、【習慣化】できるよう

自らに葉っぱをかけて、前に進むのみですね。



日々、成長です。

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。



常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。


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やっぱり ≪思い込み≫ っていけませんね。

自分自身の可能性を自分で閉ざしちゃう。

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。


いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。


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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。