夢への軌跡_我が母親の心情とは・・・

20170303_我が母親の心情とは・・・

 

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【我が母親の心情とは・・・】

 

 

おはようございます。

 

3月3日のひな祭りですね。

我が家にも娘がいなかったら、ひな人形は飾らないでしょうね

 

女の子がいるということが良いことなのかもしれません。(笑)

明日から娘の試験です。4日土曜日からです。

 

娘は先月、救急車で運ばれことが、

脳裏に焼き付き、進級出来ないのではないかという

不安に取りつかれています。

中学生なのに。。。

 

さて、今日のお題は、

【我が母親の心情とは・・・】です。

 

昨晩、帰宅していた時点で、

我がカミサンは電話中。

娘は調子が悪く、睡眠中という土壇場の時

私の母親から電話があったらしく、

1時間の時間を取られました。

 

我がカミサンもさすがに閉口気味でした。

年齢を重ねると

いろいろなことが起こります。

 

因みに、我が家のお隣さんも

80過ぎのお婆さんと60近い息子の二人暮らしです。

そのお婆さんは、週に3回以上、

「ピンポン」と呼び鈴を鳴らします。

 

更に、電話がかかってきます。

我がカミサンはその相手をしています。

時間にして、1時間以上です。

 

時間を持て余している方であれば

良いかもしれませんが、

我が家は娘の病状により、緊急時に備え

多忙状態が極まりないのですね。

そのようなところに、私の母親からの電話でした。

昨日、私からの電話について

閉口気味であった母親も

今度は嫁にかけてきたようです。

 

それも、1時間です。

 

自分都合ですね。

 

では、ちょっと分析してみます。

我が母親はエニアグラムで言う

タイプ1ウイング2です。

要は、自分にも厳しい、他人にも厳しいという

タイプなのですが、ウイング2がかかっているので

人に注目されたいという欲求があります。

 

更に、自分を正当化して、

他を抑圧するという傾向があります。

 

まさに、タイプ1の不健全な状態となります。

 

状況を確認すると、

3月2日の昨日、私の父親は入院しました。

3日の手術のために。

 

結果、見送った私の母親は、一人で自宅いて

寂しくなり、私の嫁(カミサン)に

電話をしてきたようです。

 

どこの嫁も話は聞きますよね。間違いなく!!

姑からの電話であれば。

 

それが気持ちよくなり、

1時間の電話となったようです。

 

私としては、『またか?』ですね。

 

しかし、この我が母親の言い分としても

タイプ1ウイング2であるから理解できるのです。

 

そうなんです。

このタイプは、不健全になると

他人のせいにします。

他責ですね。

 

このようになる経緯も理解できるから、

エニアグラムは大事ですね。

 

親を教育することも必要ですから

リーダーシップの在り方の勉強ですね。

ある意味、反面教師です。

明日は手術です。

病院待機も辛くそして、長くなりそうですね。

しかし、悔いなく時間を過ごしたいので

全力で過ごします。

今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

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決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#2017革命

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。