夢への軌跡_やはり、自立が大事です。

20170302_やはり、自立が大事です。

 

==============================

励みになります。

応援していただけますようお願いいたします。

社長ブログ ブログランキングへ
==============================

 

【やはり、自立が大事です。】

 

 

おはようございます。

 

3月2日ですね。明日は、ひな祭りですね。

ひな人形を我が家でも飾り、

娘の健康と安全を祈願しています。

 

一方、我が父は3月3日に手術を受けます。

手術とは言え、透析のシャント手術なので

大したことではありません。(笑)

 

にもかかわらず、大げさに言っているのも事実です。

今日、2日に入院なので、病棟の確認を行うため

昨日、実家に連絡を入れました。

 

すると、我が母が出て、

オヤジの病状確認を無視して

自分のことを話し出しました。

 

最初は聞いていましたが、

流石に、耳を疑いました。

 

ということで、今日のお題は、

【やはり、自立が大事です。】です。

 

いつの間にか、自分の事ばかりを話しています。

寂しいのは理解できますが、

用件のみを聞きたかった私にしてみると

『ちょっと???』となり、

 

『あのさぁ、今日の電話の趣旨は、お袋の話を聞くためではないのです。

 申し訳ないですが、オヤジとの話をしたかったまでですので

 オヤジと代わってもらえますか?』

「お父さんは、調子が悪く寝てしまいました。」

『それを先に言って欲しいですね。

 目的を損なっていますよ。

 80を超えているので、それぞれ、自分の人生を考えてくださいね。』

「一人になった時に考えます。」

 

唖然としました。

1月には救急搬送され、今後の話をしたにも関わらず、

父親が戻ってきて、自宅にて二人の時間を過ごした挙句には

「そんなこと、その時、考える。」

という身勝手なセリフに愕然としました。

我が親ながら、情けないなぁ。

『のど元過ぎれば、熱さ忘れる。』

 

オヤジへのメッセージですね。

『オヤジへ、お袋の教育を間違えているね。

 人は一人では生きられないということを

 教えるべきだったね。自立してからでないと

 次のステップに進めないよ。』

 

この状態では引き継げないなぁと思う私です。(笑)

 

やはり、自立していないと、話が進みませんね。

依存状態では、何事も「他責の文化」の継承です。

 

 

恐らく、我がお袋は、恥ずかしながら、

自分一人が残されたときに

「死んだお父さんが悪い!!」

と言いますよ。間違いなく。

 

依存 → 自立 → 相互依存 となり、

自責に文化に変化します。

 

考えたいですね。しっかりとした自分の将来を。

 

今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

――――――――――――――― 

 

決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#2017革命

――――――――――――――――

自由を求める人は読むべきです。

https://fukuyama-syo.com/q5y5

――――――――――――――――

勉強して損はしません。

知らないでは済まされない事実はこちらです。

https://fukuyama-syo.com/3bie

――――――――――――――――

リフレーミング、そして、俯瞰的に

物事を見るためには必須ですね。

https://fukuyama-syo.com/ljmz

――――――――――――――――

 

 

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

 

*****************************************

 

Facebookもやっています。

お気軽に友達リクエストをお待ちしております。

https://www.facebook.com/fukuyamashow

 

ホームページです。生き様公開中!

https://fukuyama-syo.com/

 

ブログランキングを始めました。

よろしければ、応援をお願いいたします。

http://blog.with2.net/link.php?1840281

 

*****************************************

 

福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

 

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。