夢への軌跡_大病院が故の待ち時間、でも・・・

20170218_大病院が故の待ち時間、でも・・・

 

 

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【大病院が故の待ち時間、でも・・・】

 

 

おはようございます。

やっときました、週末土曜日です。

 

昨日は、私の両親とともに

県内大手の病院に人工透析シャント手術の打合せで

診察を受けました。

 

因みに私ではなく、父親の診察にお付き合いです。

 

アラ80の私の両親には、

少し大きすぎる病院でした。(笑)

 

迷子になるほどですね。

私は合間合間で本を読んでいたので

それほど、時間のムダを感じることはありませんでした。

 

ということで、今日のお題は

【大病院が故の待ち時間、でも・・・】

 

病院到着は9時30分。

10時の予約診療を受けるために

紹介状やら、診察券やらの準備をしっかりと行いました。

 

診察は10時30分にずれて

改めて血液検査、心電図、レントゲンと言う一連の

検査項目を行い、外来に戻ってきたのは11時30分。

 

血液検査には1時間以上を要するので

まぁ、仕方ないとは思っていたものの

入院と手術日の打合せが終了したのは13時過ぎ。

 

更に、会計で20分以上待って、

『おかしい』と感じた私は

会計受付に問い合わせし、

ミスが発覚して、終了は13時45分でした。

 

いやぁ、長い一日でした。

 

しかし、会計受付での出来事が印象に残りました。

地方の大病院は、老人が多く

患者のミスも事務方がお詫びするようです。

 

実は私の父親が外来に提出しなければならない書類を

持って帰ってきちゃったのですね。

 

「私たちの連絡が行き届かなかったのが

 まずかったですね。申し訳ございません。」

 

とあっさり言われると、憤りも収まりますね。

 

『ブラボーな対応!!』

と言いたくなりました。

 

更に、病院スタッフの声が大きいこと。

これも高齢の患者が多いので

しっかりと伝えるために、大きく出しているのですね。

 

東京であれば、番号の呼び出しだけですが、

「〇〇番、 福山さん フクヤマショウさん」

という感じで呼び出していました。

まぁ、田舎ですね、一言で言うと。

 

一つ困っていたのは

患者が診療科の掛け持ちの場合、

例えば、総合内科と消化器内科で隣同士だと

どちらで呼ばれているのかがわからないことでした。

 

患者や付き添いの方の目が

きょろきょろウロウロしていました。(笑)

 

他責より自責の文化を定着させたいですね。

 

常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

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決断するということは、引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#2017革命

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今日も一日、頑張っていきましょう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

いつも、「いいね」と「コメント」をありがとうございます。

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。