夢への軌跡_人生を変えるダライ・ラマのメソッド公開

 

◆人生を変えるダライ・ラマのメソッド公開
 あなたはどちらの人生を選択しますか?
 これに参加しなければ一生後悔すると思います。◆ 
 
あなたも日々、
肌で感じていると思いますが、
 
現在、世界中で変革の動きが
現実化してきています。
 
 
・AIにより雇用のバランスが崩れ、
 ある分野の職業はすでに無くなり
 
・Facebook, Lineにより
 個人の情報は筒抜け
 
・スマホ、PCなどネットがないと
 生きていけない
 
 
時代が、これまでにないくらい、
大きく変化してきています。
 
 
日本を含む世界中で
起きているこの変化は、
 
大きなパラダイムシフトだと
言われています。
 
 
それは、
 
 
価値観の変化であり、
行動の変化であり、
システムの変化であり、
 
 
私たち自身の内面的な変化でもあります。
 
 
「これから先、私たちはどうすればいいのか?」
 
 
世界中の人々が
心に抱いているその問いに、
 
世界のオピニオンリーダーたちが
答えを出しています。
 
参加費15万円、
17人のオピニオンリーダーたちの講演が
動画で公開されていますので、 
今すぐご確認ください。
 


↓ 
https://fukuyama-syo.com/ztop

 
この動画が収録された講演は、
教育先進都市として知られる、
カナダのカルガリーで行われました。
 
この講演では、
 
・ダライ・ラマ法王14世、
・デクラーク元南アフリカ大統領
 
といった、ノーベル平和賞受賞者をはじめ、
 
・サッポスCEOのトニー・シェイ
・ザ・シークレットの出演者ビル・ハリス
・世界的セラピスト、ショーン・スティーブンソン
・ノマドビジネスの成功者、エブン・ペーガン
 
など、今までとは違った形で活躍する人々が、
『新時代において大切なこと』を伝えました。
 
 
■『これからの時代に必要なこと』
 
 
この動画ワークショップは、
【無料】にてご参加いただけます。
 
世界的リーダーたちが示す、
 
『新時代に成功するために必要な条件』
 
を是非お受け取りください。
 
あなたが新しい世界に、
幸せで充実した人生を送ることを願っております。
 
↓ 

https://fukuyama-syo.com/ztop

 

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福山 紫生(Syo Fukuyama)

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はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。