夢への軌跡_泥棒という名称をめぐって・・・

20190911_泥棒という名称をめぐって・・・

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【泥棒という名称をめぐって・・・】

 

おはようございます。

911日 水曜日です。

 

昨日は、台風の影響で被害が多かったなぁと

感じざるを得ない状況でした。

 

一昨日と同様のコメントですが、

本当に沿岸部へ行くと被害の大きさを感じます。

 

正に、停電による影響で

信号機がついていないのです。

 

渋滞も発生しますよね。

 

高速道路からの出口の信号が無灯となり、

出るに出られない状況が続き、

これは、交通整理が必要だよね。と思いつつも

『喉元過ぎれは熱さ忘れる』

とは、良く言ったもので

通り過ぎたら、私も忘れました。(笑)

 

これの連続が渋滞を招いているようです。

 

千葉市内と沿岸部では停電が続いているので

要注意ですね。

 

さて、今日のお題は、

【泥棒という名称をめぐって・・・】です。

 

現在、入院中の実父母の病院へ

要件を済ませに訪問しました。

 

見舞いという名の滞在時間は10分以内です。(笑)

 

実母との会話では、

『痛みが取れて、歩けるようになれば、自宅に戻れる。』

という趣旨を伝え、

 

リハビリに勤しむように伝えました。

 

もちろん、滞在時間は2分以内です。

 

その後、実父のところへ、

既に透析が終了しているので

かなり元気ではあるものの

ほぼほぼ、寝たきりの状態です。

 

「なぁ、帰れるかなぁ。」

という質問に対し、

 

『帰れないよ。』

 

「こんなに元気なのに?」

 

5月末の退院時に伝えたと思うけど

 自分で救急車を呼んでしまったので

 自宅には帰れないよ。』

 

「家に帰りたいんだけど。」

 

『難しいね。』

 

「冷たいなぁ。」

 

『嘘をついても仕方ないでしょ。

 親父は嘘を付いたんだから。

 

 こちらとしてみれば、

 「自宅で死にたい。」

 という意向を汲んで、急性期病院の医師に

 納得してもらったわけさ。

 

 それが、自分で救急車を呼んだら、命乞いだよね。

 

 ということは、医師は、帰さないと思うよ。』

 

「自分で頼んでも?」

 

『やってみれば?

 長男としては、納得できないけどね。』

 

というや否や、

 

「持ってかれたお金だけど、

 ちゃんと返してよ。」

 

『できないよ。既に預かったお金だけでは

 医療費が支払えないよ。』

 

「そんなことないよ。泥棒か?」

 

『親父は、長男の私を泥棒扱いするんでしょ?

 私も親父を泥棒扱いするからね。』

 

「俺は、お前から金を奪ってない。」

 

『親父は、私から、時間を奪っている。

 どれだけの時間を要しているのか考えてくれ。』

 

「息子だから。」

 

『体裁の良い台詞だね?

 第三者の前で泥棒と呼ばれて

 良い気分をする人はいないから。

 私も親父のことを泥棒と呼ぶから。

 明らかに時間を奪われているのは事実だから。』

 

と言って、5分程度で別れました。

 

もう、既に、命のろうそくの火は

消えかかっているのですが、

伸ばして伸ばして、生き残りたいと考えているようです。

 

自分の欲望だけのような気もします。

 

実母も自宅で実父と二人で生活していた際に

親父は、自分の命が大切であるが為に

実母を本人の許可なく施設に送るよう手配したようです。

 

困ったもんですよねぇ。

 

そして、昨晩、電話があり、

「クスリを持ってきてほしい。」

とのこと。

 

まさに、『時間泥棒じゃん。』

と考えた瞬間でした。

 

しばらく、距離を置こうと思っています。

 

自分では、認知はないと言っていますが、

怪しいですね。

 

【泥棒という名称をめぐって・・・】

とは、いただいたセリフをそのまま返却しました。

 

個人的には、お金って、回してなんぼと考えています。

個人の資産を個人で抱えることにより

不幸になるのではないかなぁと思います。

 

福山的には、

時間の方が有限であり、

どのように利用するかが大きく人生に左右される

と考えています。

 

実父母にその概念を教育することはできませんが、

周りから誰もいなくなるような気がします。

 

そもそも、そのようにして

生きてきたので実の長男である息子からも

見放されたのでしょう。

  

実父の考え方には付いて行かれないので

距離を置きます。

   

にゃんにゃん。。

 

今日は水曜日です。

 

火曜日から派手な動きかなぁと

思えるようなチャートでしたね。

 

『こういう日もあるさ!』

という感覚で損切りラインを決定しているので

なんとなく、生き残っています。(笑)

 

これも経験かもしれませんね。

 

今週はこれからがエントリータイミングである

とも考えています。

 

相場の神様に感謝しつつ。。

 

楽しみながら。。。

チャートを確認していきましょう

  

にゃんにゃんにゃん。。。

 

エセアナリストですけど。。。(笑)

    

ぼちぼち、政府も動き出しましたね。

今度は、3000万ですね。

簡単に定年後必要資金を釣り上げないで欲しいなぁ。

  

エセアナリストのお仕事です。(笑)

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20190908_uploaded

夢への軌跡_FX_おじえん_相場環境認識_20190908

https://fukuyama-syo.com/archives/12796

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夢への軌跡_FX_どるえん_相場環境認識_20190908

https://fukuyama-syo.com/archives/12793

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収縮と伸長の繰り返しです。

2018年のドル円の年ボラは10円ちょっとです。

  

平均値は16円程度です。

 

と言うことは、

2019年は反動がくるのではないか?

と考えています。

  

エリオットで数えていきましょう。

 

いつか来るであろう、毎日給料日と

考えています。はいっ! 

    

負けないトレードを目指します。

  

個人的な目標は週に100 pipsです。

この技術があれば、怖いことはないですね。

 

色々な考え方がありますが、

それぞれの通貨で、

しっかりと、学んでおくと

失敗は少なくなりますね。

 

「えふえっくす」は心理学の一つかもしれません。

  

このようなアナリスト気分になれるのは

やはり、学びです。

 

学びは力になりますね。

https://fukuyama-syo.com/2019

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【学ぼう! えふえっくす!!!】

スタートミーアップ 「えふえっくす」 です。

 

学んでみませんか?無料です。

全国展開中です。

 

興味があれば、覗いてみましょう。   

その後の判断は、自分で考えてくださいね。

 

学びは裏切りませんので

まずは、学んでからトライしていきましょう。   

  

「えふえっくす」で勝敗を分ける理由は、

・情報不足

・慢心

・思い込み

となります。

  

今や、感情を度外視したトレードも可能ですね。

感情トレードは資産を溶かします。

ですから、学びましょう。

 

学びを怠ると、自分の力にはなりません。

https://fukuyama-syo.com/2019

  

にゃんにゃんにゃん。。。

 

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今を悔いなく。常に100%で。

今日も一日、頑張っていきましょう。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

 

――――――――――――――― 

決断するということは、

引き返さずに前進あるのみです。

 

毎日が成長であり、

昨日の自分より今日の自分が

成長しているはずなのです。

 

常に前に。

ついてる!ついてる!ついてる!感謝です。

#えふえっくす

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ありがとうございます。

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福山 紫生(Syo Fukuyama

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ABOUTこの記事をかいた人

はじめまして 福山紫生と申します。 千葉県松戸市生まれで 幼少期は東京都立川市で育ちました。 中学時代はサッカー部でした。 ポジションはスウィーパーという ゴールキーパー前の掃除人でした。 当時の体は170cm、80kgという サッカーにはふさわしくない体形をしており、 試合中、相手にけがをさせてしまい 救急車を呼んだこともありました。 チームメートからは「重戦車」とも呼ばれていました。 高校時代は一変し、帰宅部となり 受験勉強に勤しみました。 毎日のスケジュールをしっかりと立て 当時、テレビを見るという悪い癖を克服するために 帰宅後、18時から22時までの4時間を睡眠時間とし ゴールデンタイムにテレビをつけることもなくなりました。 22時から夕食、23時から明け方まで勉強をし、 オールナイトニッポンというラジオ番組が友達になりました。 無事、高校3年11月で早稲田大学の推薦をもらい その後は、自動車、オートバイなどの運転資格免許をとり 親の車を乗り回して、遊んでいました。 大学時代は、ミーハーサークルに所属し テニスやスキー、アルバイトに勤しみ、 勉強については、それほど、力を入れていませんでした。 早稲田大学を卒業後 株式会社ダイエーへ入社し、2年で退社しました。 ここにいても「自分らしさを出すことはできない」と 思ったからです。 その後、運送業を行い、体調を崩し、6年で廃業しました。 そして、医療器械の国内輸入商社へ入社しました。 国内医療機器の販売を行う際の2年目に ナポレオンヒルプログラムを学び、 成績優秀者として、表彰されたこともありました。 自分は順風満帆の会社員生活を送っていたと思っていました。 しかしながら、考え方が大きく変化したのは 2002年に子供が誕生したときです。 誕生時、未熟児、且つ様々な病気をもって 生まれてきた娘は3か月の入院後、退院してきました。 その間、仕事が手につかず、お休みがちになっていましたが、 会社からは「君の代わりはたくさんいる。」と告げられました。 このとき、自らが会社に貢献していないと、 「いらない」と言われてしまうんだなぁと感じました。 娘は完全治癒では、ありませんでしたが、 世話を嫁に任せ、私は日常業務に勤しみました。 娘は10年間後遺症は出ませんでしたが、 2012年に後遺症が発生し、現在も通院治療を行っています。 その後遺症が障害となり、苦しむ中、 父親としては、時間とお金のかかる 娘の治療に専念したいという思いから 挑戦し続けています。 2011年に国内商社から外資系商社へ転職し、 そして、現在に至ります。